記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『ソーシャル・ネットワーク』 by D・フィンチャー

D・フィンチャー見直した!
コンテンポラリーな題材への挑戦、直球勝負のしゃべくり人間ドラマ。
かといって登場人物の深層までは描かずに、出来事をドライに紡ぐあたりが実にイマドキ。
調停シーンと再現シーンが交わることで生まれるテンポとリズム。
何よりJ・アイゼンバーグの早口演技が素晴らしい。音楽チョイスもバッチリ。
オスカー獲っても全く不思議じゃなかったけども。
きっとオスカー会員のご老人たちには全くのチンプンカンプンだったのかも。
余談だけど、訴訟相手の一人が小澤征悦にクリソツでかなり気になった。


聞いてた前評から、どんな悪者と思ってたけど、
マークは単に社会的モラルの欠如したアンソーシャルなオタクで、
現実社会の人付き合いの重要性を誰より痛感し切望してるのが印象的。
まあ友達にはなれそうにもないけど悪い奴ではない。
プログラマーによくいるちょっとイタイ奴。
問題なのはそこに金の匂いを嗅ぎつけた取り巻き。
特にハーバード大学のエリート排他主義と、
かつて時代の寵児ともてはやされ自らを神様か何かと勘違いしているナップスターの開発者、
こういう自分に酔って、自らの正義を振り回して、
周りへどれだけ迷惑をかけているかなど微塵も気にかけないような社会的不適格者にはヘドが出る。
女にもてたい願望が出発点というのはよくある話。
スポーツでもギターでも何でも男の動機は大抵単純だ。



テクノロジーが我々の生活を便利に、幸福にしてくれるという誇大妄想は信じるに値しない。
それを信じさせたがっているのは、高い商品を売りつけたい企業や投資家、
そして自らの有能さを世界に見せつけたい低能なマスカキ技術者である。
もっとも、いとも簡単に全てが手に入るとデジタルを免罪符のごとく賞賛する消費者もまた同罪であるが。
まさに水は低きに流れる。
人間の発想、営みそのものがアナログである限りデジタルは単なるツール以上の何物でもない。


facebookがアラブの革命を引き起こしたと本気で思っている人がいるなら、
なぜこの崩壊寸前の日本で革命が起きないのか説明してほしい。
テクノロジーはあくまでツールの1つにすぎない。
世界を変えるのは人間そのものである。


世界中の人たちと繋がることができる?
ではあなたはこの1年に、何人のノルウェー人と親密になりましたか?
自分は0人です。ネットを開けばそれはできたかもしれないけど、そうしなかった。
ツールは手にあっても、それを使おうと思わなかったからだ。
外国人と仲良くなりたくないわけじゃないし、むしろ逆だ。
でも、結果的にそういった方向へ自分の行動がいかなかったからであり、
それ以上に大事な出来事や物事が身の回りにあったからである。
人間が1日24時間のうちにできることの本質は何も変わらないし、
身の回りの生活や人間関係に良くも悪くも強く縛られて生きるのが人間である。
ブログを書くことで、本来出会うことのなかった人たちと関係を持てるという利点を自分自身も享受してはいるが
しかし今こうやって記事を書いている時間に、もっと大事な人と出会うチャンスを失っているかもしれない。
それについては全く立証不可能ではあるが、逆説的にいえば、
ネットやデジタルが他の何よりも増して人間の可能性や選択肢を増やしてくれるということではないということだ。
もっとも”ただ繋がっている”という感覚、”繋がろうと思えば繋がれる”という安心感のほうが、
”繋がりたい”という意志や決意よりも、今の時代、心地よいのかもしれないが。