記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『空白の5マイル チベット、世界最大のツァンポー渓谷に挑む』 by 角幡唯介

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む


全世界的な通信機器の発達、高速輸送手段の普及がなされ、
人工衛星がこの惑星のありとあらゆる場所を24時間監視している現代社会において、
いまだ人類が到達できていない空白の5マイルがチベットの深奥部に存在する。
チベットの母なる川であるツァンポー川は、チベット高原を西から東へと流れた後、
5000m級の山々が連なるヒマラヤ地帯で忽然と姿を消す。
謎に包まれた峡谷部で川は高くそびえる山肌を削るようにして、
急旋回をし南へ転じたのちにインドへと流れ着く。
これがツアンポー川大屈曲部と呼ばれる険しい場所で、
現代においてもなお人類が踏破できないまま、
地理学的に未解決となっている場所である。
その場所は、チベットの民にとっては、
桃源郷が存在すると言われている神聖な場所であると同時に、
地理学者にとっては最後の未開の地として伝説的な場所として残されてきた。
そんな謎とロマンをいまだに抱えたままの地に、単身乗り込む!
ただ純粋に冒険というものに向き合い、
それを実行に移した筆者は素晴らしいの一言。


やっぱりこういう純粋な冒険談を読むとワクワクが止まらない。
読むのと実際行くのとは当然苦労もなにも違うのわかってはいるが、
これだけ人生を賭けた大冒険を実行できた筆者が正直うらやましい。
個人的な成長やかけがえのない思い出を得るといったことは別として、
これを達成したからといって、特に何になるわけでもない。
他人から見れば、見たことも聞いたこともないような不便な所へ
わざわざ行ってしんどいことをするだけのことだ。
何か明確な意味や、利益を追求するのではない。
まさに大いなる無駄である。
これが北極点だとか、エベレストだとか、
わかりやすい目的地だとしたら、また少し意味は違ってくる。
世界中のほとんどの人が見向きもしない様な地で、
記録や名誉といった”日常の範疇”を遥かに越えたところで、
ただ生きるか死ぬかの瀬戸際を行くような冒険がしたいという
筆者の純粋素朴な冒険心が実によくわかる。


自分も少なからずそういう冒険心は昔からあって、
それをたまたま今は自転車、それもロングライドという形でやっている。
それは何か明確なターゲットを欲してのことではない。
例えば記録を達成して称賛を得るとか、ダイエット効果を狙っているとか、
ましてそれで食って行こうとしているわけでもない。
ただ純粋に冒険心をたぎらせる、そのために日常の範疇から大きく脱するための行為だ。
そこに深い意味や目的などなくてよいし、
逆に自分にとっては大いなる無駄でなくてはならない。
他人から、アホなことをしているなあ、なんでわざわざしんどいことしてるの?と
理解がなくたって一向に構わない。
(ロングライダーには同じような価値観の人が多いと思うし、
少なくともこの意味は理解いただけると思っているが)
むしろ、そういった一般的な常識、単一的な物差しによってはかられる価値観から、
逸脱した先にある風景こそが自分の求めているものだ。


だから、もし自転車が日常のルーティーンワークと化してしまったら、
何の躊躇も後悔もなくやめると思う。
もし自転車をやめたとして、この冒険心が湧いてくることは止められないから、
きっと別のことをやっていると思うけど。
それが、クライミングなのか、キャニオニングなのか、トレランなのかまだわからない。
まあ例えば野球とかサッカーとかにはまず手は出さないと思う。
スポーツとしては好きではあるけれど、
この場合ただ体を動かして汗を流せればいいという訳ではない。
それらは徹底的に管理され限定されたフィールド内で、
一定のルールに基づいて行われるものであって、
そこに冒険心が入り込む余地が全くないから。


効率性と方法論を日々模索し、数値を細かく分析して、一定の成果を上げる。
そんなことは、学業の中で、仕事の中で、日常の中で、散々やってきていることだ。
今更、その形式を、自転車の分野にそっくりそのまま導入して、
それをひたすらやるというのは、自分にとっては楽しいことではない。
それが手っ取り早い目標設定の仕方で、
そうやって楽しむ人が大多数ということは理解はしている。
でもそれを追求した先に見える景色は
きっと日常のありふれたものとそう変わらない気がする。
それにみなが、そういう方向へ習うのであれば、
自分はあえて道なき道を突き進みたいタチだ。
踏み跡の全くない山肌を、ゲーゲー悶絶しながら、ブッシュをなぎ倒し進む。
その結果、無様に敗退したっていい。
それが別に有名な山でなくとも、高い山でなくとも構わない。
自分の切り開いた道の跡を辿ってくる者がいなくても平気だ。
無茶で無駄なことに挑んでこそだ。


こうやって自分の目指すべきものについて定期的に書くことは、
自らにその信念を刻みこむ一種の個人的な儀式なのだが、
時々、必要以上に自分の意見にアテられて、
過敏に反応したりする人がいて正直困る。
これはあくまで一個人のゆるぎない信念であって、
他の人に真似してほしいとも思ってないし、
一部の人(奥さんとか)以外に理解してもらおうなどと思ってない。
人それぞれ別の信念があっていい。
ただ、人の意見にアテられているうちは、その信念は大したことはないと思うが。
それと、個人的な信念とチームのあり方もまた全然別次元の話。
自分のワンマンチームでもないし、各人の信念も当然ある。
それを前提として、みんなはみんなで目指すべき所は当然別にあるはずだから。
と、いちいち、自分の発言にフォローを入れないといけない現状が、
もう窮屈で。
ただ、「書く」という行為は、自転車をやめても絶対にやめることはないけど。
冒険が趣味なら書くことはまさしく生業なので。


とにもかくにも、スケールは全く違えど、
そういった冒険心を改めて気付かせてくれた一冊に、
このタイミングで出会ったのは本当にラッキーだったかもしれない。
下降の一途をたどっていたテンションが少し上にむき出した。
ということで、今夏も原点回帰。
アホなチャレンジを精根尽きるまで?やっていこうと思います。
もちろん生きて帰る=安全第一は大前提。