記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

Music Life 『なんでもないや』 弾き語り練習


引き続いて弾き語り。
上の娘が『君の名は』が好きで、
もういっこの曲ではなくこちらの『なんでもないや』をリクエストされたので。
後半に連れて盛り上がっていくメロディアスな曲で、なかなかドラマチック。
歌唱も思いを込めやすくて歌いやすいと思います。
寒さで手がかじかんでいつも以上にギターはヘタですが、
長い曲なので撮り直しが面倒なのでこれで終了。


ただ、歌詞の内容がちんぷんかんぷんでわからない。
映画の内容はよく把握しているので、
それと照らし合わせみても個人的にはしっくりこない。
冒頭部分、唐突に出てくる”父”の言葉に心打たれたはずなのに
真似たのは君だったり(じゃあわざわざ父をチョイ出しした意味は何?)、
いつもしゃべらない”あの子”に今日は話しかけてみたのだが、
それは”あなた”がそばについてくれて心強かったからって、
どういうシチュエーションなのか。
(彼女の前で別の女の子にちょっかい出すってことか?)
そもそも”僕”と”君”の話だったはずなのに、”あなた”とは誰なのか?
君=あなたであれば、なぜ人称をここだけ使い分けるのか。
一般的に、物語でも何でも、
人称や表記は統一するというのが基本的なルールだ。
君がお前になったり、テメエになったり、youになったりはしない。
なので、あえて人称を変えるということは
何か意図があってのことだろうけど、
それについて歌詞の中で説得力のある筋や、風景が描かれていない。
そもそもそれらに何かの意図があったとしても、
伝わらなければもはやそれは意図が成就できていないし、
伝わらなくてもコトバが意味を越えてイメージとして
脳裏に焼付けばいいのだがそんな効果もない。
コトバで勝負する場面でそれは致命的だと思われる。
これらの疑問ついては他のブログなどでも色々と考察はされているけど、
正直無理やり後付けしたような解釈ばかりで釈然としない。
なかには視点や時間軸の転換によって書き分けられているとか
なかなかに高尚な考察もあったが
歌詞全体を見渡しても
そんな高いレベルのスキルが用いられているとも思わない。
これらの考察の多くも、映画やアーティストが好きだから、
それをいい風に解釈しようという前提があって客観性を欠いている。


それに全体として具体を歌っていないので、
なんとなくなんとなくというぼんやりとした印象しかなく、
風景がほとんど頭に浮かんでこない。
映画の映像があるから、その断片が浮かんでは来るけど、
それはこの歌自身が発するものではなく、
イメージを思い起こさせるという肝心要な役割を
映像にアウトソーシングしてしまっているということだ。
逆に映像は、この歌を大音量で流し、
そのドラマチックなメロディーにカバーしてもらって、
無理やりエンディングを盛り上げているのだが、
それは逆に音楽に物語性をアウトソーシングしているということになる。
それはよく言えば、互助的な関係を築いているとはいえるのだが、
結局それは、どちらも単体では乏しい存在ともいえる。
この映画をRADWIMPSのPVでしょという意見はある意味マトを得ている。
いずれにせよ作り手も受け手もいかに雰囲気重視かということ。


この歌も映画も、好きなんですけど、
過去の偉人たちのマスターピースとどうしても比べてしまうとなあ。