ジョナス・メカス×いしいしんじ 『幸せな人生からの拾遺集』 / 『フローズン・フィルム・フレームズ―静止した映画 』
日曜日のメインイベントは、毎度おなじみの誠光社さん。
映像作家のジョナス・メカスの2012年の作品
『幸せな人生からの拾遺集(Outtakes from the life of a happy man)』の上映に合わせて
作家のいしいしんじさんが”その場小説”を乗せていき、
しかもそれをほぼ同時通訳という形で並べて投影し、
ブルックリンに住むボニー・エリオットさんが”その場翻訳”。
それをyoutubeで同時世界配信するというライブイベント。
ジョナス・メカスはリトアニア出身の詩人でしたが、
ナチスやロシアの迫害を恐れてアメリカへと亡命。
たどり着いたニューヨークで16mmのゼンマイ式フィルムカメラを手に入れ、
そこに詩的かつ私的な日常の風景を撮り始め、
インディペンデントムービーの父と称される映像作家です。
自分が映画製作サークルで映画を撮りまくっていた頃に
とても刺激を受けたアーティストの1人。
今回はそこにおなじみのいしいさんが絡んでどんな化学反応が起こるのか、
とても興味があって参加しました。
小さなスペースにぎっしりのギャラリー。
そこに手製のスクリーンを張って、なんともインディペンデントな雰囲気。
いしいさんとも久しぶりにご挨拶。
時間となり、スクリーンに、メカスの映像、
そしていしいさんのタイプスクリーン、
それからエリオットさんの通訳スクリーンを重ね合わせる。
なんとも不思議な感覚でした。
コトバにしても、歌にしても、映像にしても写真にしても、
不可逆的に流れる時間の流れの中で、
その瞬間をFIXして切り取るという行為自体が、
すでに高尚な芸術活動であると信じているが、
ジョナス・メカスの記録映画に映し出される映像の素晴らしさは、
その1シーン1シーンが
彼自身の極めて個人的な日常を切り取ったもので、
彼自身の経験から零れ落ちたものであるはずなのに、
この映像に接した人たち(人種や国や性別を問わない)の
誰もの遠い思い出の中に共通して浮かび上がるような、
記憶とかイメージにおける原始的な”何か”を、
フィルムの中にはっきりと封じ込めているからである。
それはあの日の風であったり、まばゆい光だったり、
子どもたちの甲高い無垢な笑い声だったり、
浜辺に打ち寄せられる波だったり。
何かの機会に、昔を振り返りながら古いアルバムをめくる時、
運動会や誕生日など、特別な行事やイベントの記録のために
撮られた写真たちよりも、
フィルムの余りを使い切るためにだけに
何気なくシャッターを押したショットに偶然に映し出された、
当時のただの日常の風景が切り取られたものに、
強烈なエモーションが湧き上がってくるという経験は誰しもあると思う。
その感覚に近いような映像体験。
いしいさんは事前に映像を見ていなかったらしいのだけど、
ちょうど映画のキーワードとなる”波”というフレーズが、
シンクロするように浮かび上がってきて、
ちょっとした奇蹟のような夜でした。
フローズン・フィルム・フレームズ―静止した映画 (フォト・リーヴル)
- 作者: ジョナスメカス,フォトプラネット,Jonas Mekas,木下哲夫
- 出版社/メーカー: フォトプラネット
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