記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

「風街ヘブン」by 寺門孝之 at 相楽園

10月某日。

神戸の山手にある、日本庭園で有名な相楽園へ。

その敷地内にある重要文化財・旧小寺家厩舎を会場として、

地元神戸の画家・寺門孝之さんによる絵画展

『風街ヘブン』を鑑賞しに行ってきました。

 

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そのタイトルからわかるように、

ぱっぴいえんどのドラマーで、

時代を彩ってきた数々の名曲の歌詞を生み出してきた、

作詞家・松本隆先生の言葉の世界からインスピレーションを受けて、

歌の世界観を寺門さんのフィルターを通して

絵として形にすると言うのがテーマです。

 

赤いスイートピー」「風立ちぬ

「はいからはくち」「風の谷のナウシカ

君は天然色」「木綿のハンカチーフ」etc

 

絵の脇に松本先生の歌詞が添えられ、

言葉を紐解きながら、

幸福感に満ちた色鮮やかな絵の数々を観ると、

その2つが合わさることで、

まるで物語が立体的に浮かび上がってくるようです。

 

さて、松本先生の歌詞の中(タイトルにも)には

たくさんの「色」あるいは「色」にまつわる表現が

たくさん出てくるのですが、それらの中には、

実在しない色(つまり絵の具にないもの)が登場するのが特徴です。

 

「春色の汽車に乗って~」(『赤いスイートピー』)

「映画色の街~」(『瞳はダイヤモンド』)

「渚色のカーブ~」(『派手!』)  etc.

 

 

『空いろのクレヨン』

『夏色のおもいで』 

君は天然色』 etc.

 

それから有名なエピソードですが、

赤いスイートピー』も、

当時はまだ赤い色の品種が存在しておらず、

歌の大ヒットを受けて、新たに品種が作られたという意味では、

当時は実在しない色だったと言えます。

 

また『木綿のハンカチーフ』では、

「都会の絵の具に染まらないで帰って~」という表現も、

受け取る人にとっていろいろな色が浮かぶ想像の産物ですね。

 

今回の寺門さんの絵を観て一番印象的だったのは、

松本先生が想像/創造したそれらの色、

ずっと頭の中で思い巡らせてきた色彩の風景が、

まるではじめからそうだったかのように、

鮮やかに再現されていると感じたことでした。

 

歌を色彩で感じる、また逆に絵画が奏でる歌を聴き取る、

これほどイマジネーション豊かなことが他にあるでしょうか。

とても素晴らしい経験でした。

 

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すばらしい色彩の風景の一角に、モノクロームの絵が3枚。

『Tシャツに口紅』『乱れ髪』『瞳はダイヤモンド』

ショートショートの女性のまっすぐな眼差しに、

すっかりと射抜かれて、思わず目が眩みました。

 

松本先生は女心のわかる人と言われますが、

まさしくこの絵の彼女こそ、

松本先生の歌の主人公だと確信します。

(寺門先生によれば、この3枚は実際に女性をモデルに立ててデッサンしたそう)

 

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1枚1枚とゆっくりと対峙して語らい、

くまなく満喫しました。

それからショップで、ポストカードセットを購入。

この日は寺門先生が在廊されていて、

どれか1枚にサインを描いていただけるということで、

悩みに悩んで『はいからはくち』に書いていただきました。

 

それぞれの絵の思い出や、

歌のことなど少しだけお話しできました。

すると、今年になって、ずっとお出かけの際に身に着けている

自作のトートバック(ナポリタン)を目にされて、

「それとてもいいね!」「え?オリジナル?やるなあ!」と

まさかまさかお褒め頂きました。

会場のスタッフの方々からも、かわいらしい。

ナポリタン食べたくなりましたと、思いがけず言っていただいて、

なんだかとっても嬉しくなってしまいました。

 

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ということで、とてもイマジネーションが刺激される素晴らしい展示でした。

何よりうれしいのは、

東京オリンピック前夜の渋谷界隈の原風景だったはずの「風街」が、

時代に乗り、風に乗り、

港町神戸にたどり着いて、そこに種を落とし、

その風景に育てられた人たち、

あるいは新たにそれを発見した若い人たちの想いによって芽吹き、

この令和の時代に、新たな「風街」として、

それも生きる場として、はっきり立ち上がったということです。

50年前に産声を上げたそれが、色褪せたり、博物と化すことなく、

今もなお、色鮮やかに私たちの暮らしを照らし続けていてくれる。

言葉、想像力、それらが試される時代にあって、

そのことのありがたさをひしひしと感じながら。