映画『破壊の日』 by 豊田利晃監督
『破壊の日』
冒頭からビシビシと放出される
質量の高い怒りと露骨なまでの渇き。
7年前に産み落とされた欲の怪物が、
2020年,違う形で猛威を振るう。
業を背負っているのは物の怪か人間か。
回収されないドラマの筋書きは、
ただ腹の底に命中する轟音と祈りの叫びに掻き消される。
この映画自体が、メタ化された2020年日本の不穏な空気そのもの。
7月末。ひさしぶりに九条のシネヌーヴォさんへ。
豊田監督の『破壊の日』を鑑賞。
なんてったってGEZANのマヒト君が役者として出るというので
これは観ないわけにはいかない。
映画館は元々換気設備などは十分なのだが、
対策も厳しく行われていて安心しました。
ちなみにここシネヌーヴォの内装は、
今はなき劇団・維新派が手掛けたもの。
映画の発端は、豊田監督が、
東京五輪を控える2020年に入ってすぐ、
強欲という物の怪に取り憑かれた日本社会を
お祓いしてやろうと思いたって企画されたもの。
だが、ご存知の通り、その強欲を軽々と上回る勢いで、
ウイルスという自然の猛威が、
具体的な「死」を引き連れて社会を丸め込んでしまった。
映画はもちろん、あらゆる文化的な様式が破壊され、
経済的活動が制限される中で、
この企画自体の見通しがわからなくなる状況に陥る。
そして映画の中心的なテーマの対象であった
東京五輪そのものが延期でなくなり、
さらに緊急事態宣言でロケ撮影が中断を余儀なくされる。
それでも映画を撮るということの存在意義を賭けて、
産み落とされたのが約1時間にわたる本作である。
2020年だからこそ生まれた、
2020年だからこそ目撃すべき作品である。
冒頭のモノクローム。
腹の底にまで響くような不気味なサウンドが、
否応なく緊張感を増幅させる。
粉雪がちらつく古びた炭鉱。
ベッタリと塗りこめられた黒に包まれた坑道を
砂利砂利と鳴らし、黙々と歩き続ける松田龍平の表情。
その長回しだけでもはや絵になる。
そして、あの渋谷のスクランブル交差点に
突如現れた赤いケモノ、
マヒト君の全身全霊を込めた雄たけび。
何の混じりけのない透き通った怒りと生きることの主張。
今までも音楽でライブで幾度となく
繰り返されてきた叫びが、
まさにひとつの輝きとして結実した刹那。
ある意味、この2020年の一つの頂点と言っていいかもしれない。
ただ、存在感溢れる役者陣の中でも、
ダントツ、ピカ一だったのは、イッセー尾形。
まるで物の怪の憑りつきたるがごとき飄々とした様。
極限まで高まる緊張感と弛緩を
同時多発で自在に操ってみせる様はさすがの芸達者ぶり。
およそ1時間という短い時間に込められたのは
分かりやすい物語や登場人物の掛け合いではなく、
実体のない不穏な時代の不穏な空気感のみ。
そしてその只中に生きる人の怒りや焦燥、恐怖といった感情を
言葉やセリフではなく、佇まいでのみで現す。
ただしその分、スクリーンからビシバシと溢れ出る熱量は半端なく、
余りのエネルギーに思わずあてられそうになる。
そして終幕に打ち鳴らされる『日本列島やり直し音頭』。
すっばらしい。