記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

映画『Tribe Called Discord:Documentary of GEZAN』

目撃した。

GEZANムービー。

優しい獣たちが僕らに見せてくれるのは、

綺麗事並べ立てた夢の世界なんかじゃなく、

どこまでも容赦ない現実。

この地球に紛れもなく横たわる超現実。

好きも嫌いもない、理想も何も関係ない、

肌の色もイデオロギーも全部飛び越えて、

これがまさに目の前で繰り広げられているリアルなんだ。

そこから目を背けるな、

直視して考えろ、と彼らは観る者に問う。

そう、ここに明確な答えなど存在しない。

映画の続きは僕ら次第・・・

 

この映画で目撃したのは、

どっかのハリボテの正義でもない。

理想ばかり振りかざした絵空事の夢でもない。

まして安直に導き出されたチープな答えなどでもない。

そこにあるのは、

ただ痛々しく切り刻まれたクソッタレなこの世界の底から、

見上げた一筋の眩い希望の光だけだ。

でも、そのか細い光の筋は、

やがて世界を優しく包み込んで、

人類を再びひとつに繋ぐかもしれない道しるべ、

そう信じてみたい、心から思った。

 

圧倒的な現実は何もかもを飲み込んで、

僕らも彼らも明確な答えなんて持ちようがない。

正直、まだこの映画が発するメッセージの強大さを

完全には受け止めきれず、

どう自分の中で言語化してよいのか、混乱している。

混乱しまくっている。

だけども、少なくとも彼らは、

突き付けられた現実にただ呆然と立ち止まるのではなく、

ギターと言う名の武器で、

真に自由な地平を必死で耕そうとしてる。

音楽というマジックで、

世界の傷口を縫合しようとしている。

世の中からはじき出された弱い人たちはもちろん、

知らず知らず彼らを締め出すことに

加担してきた人たちもひっくるめて、

どちら側の人間だとか主張したり争ったり、

自分達じゃないものを排除したり批判するのではなく、

誰もがそこにいてもいい、

そんな居場所を見つけ出そうとしている、

作り出そうとしている。

それを彼らは、自分たちの政治だと言い放つ。

そして、オーディエンスに向けて、

それを受け止めたうえで、

お前らの答えをお前ら自身で紡ぎだせと叫ぶ。

そんな切実なシーンを目撃してしまったなら、

もうちっぽけな自分でさえ、

何らか彼らの後に続きたいと思った。

漫然と生き残ってきた既存の価値観が

今まさに音もなくゆっくりと転覆し、

新しい世の中がもう目の前まで来ている。

そんな予感。

 

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2009年に大阪で産声を上げた

オルタナティブ・ロックバンド「GEZAN(下山)」。

一般的な商業ベースとは一線を画した独自のやり方で

アンダーグラウンドシーンを席巻し、

今では大きな影響力を持つようになった彼ら。

バンドのフロントマンで現代の吟遊詩人マヒトゥ・ザ・ピーポーを筆頭に、

ギターのイーグル・タカ、ベースのカルロス・尾崎・サンタナ

2016年から加入したドラムスの石原ロスカルの4人に、

ずっとバンドの軌跡を記録し続けてきた神谷”でるお”監督を加えたメンバーは、

セルフファウンディングによりかき集めた資金を基に、

距離にして実に地球半周にも渡る壮大なアメリカツアーと、

スティーブ・アルビニとアルバムレコーディングへと旅立つ。

 

ロックの本場アメリカをめぐり、

今なおパンクロックが純なパンクロックのまま息をしているような

郊外のガレージや、場末のライブハウス、

ダウンタウンのレコードショップ、スケート場などで、

彼らの音楽やスタイルが熱狂的に迎えられ、

まさに思い描いた自由奔放なアメリカンドリームの世界が

待ち受けているかと思われた。

 

しかし、彼らを待ち受けていたのは、

貧困やドラッグにまみれた生々しい地獄、

LGBTネイティブアメリカンなど

社会的に生きづらい立場の人たちの

やり場のない怒りや悲しみに包まれた世界だった。

ネイキッドなまま、

無遠慮に格差と分断と憎悪の感情が繰り広げられる世界に、

はじめはなすすべもなく圧倒されるだけのメンバーたちだったが、

リアルの世界の最前線に取り残されてきた人たちとの

交流やディスカッションを経て、

彼らの心や居場所に優しく寄り添ううちに、

自分たちは決して他の惑星から来た傍観者などではなく、

全てが地続きで起こっているリアルを生きる一当事者として

受け止め、彼らのもつ”音楽”という武器をもって、

彼らなりの答えを導きだそうと、もがき始める。

時にはあまりに大きすぎるやり場のないエネルギーに押しつぶされて、

この映画自体も頓挫してしまいかねないような状況にも発展するが、

彼らはそれでも立ち止まることはなかった。

そして彼らが主催する完全フリーのフェス

「全感覚祭」の開催が目前に迫っていた…。

 

この映画は、1ロックバンドの

ツアープロモーションムービーという小さな枠に

到底収まることのできない圧倒的な熱量のメッセージが

スクリーンからはみ出す勢いで我々の鼓動をダイレクトに打つ。

それはまさしく、言葉や音楽や人間と、

妥協なくぶつかり続けてきた末に生み出されてきた

GEZANの音楽そのまんまだ。

 

一見荒々しく、ド派手な衣装と攻撃的なパフォーマンスで、

鋭い牙を光らせた獣のような彼らだが、 

いつだって誰にだって優しい。

その優しさは、彼らが時代の最前線で浴び続けてきた

抑圧された衝動がマグマのように噴き出た感情や、

喜怒哀楽様々に塗りたくられた生々しいエネルギーを、

彼ら自身の中に取り込んで、

それらをろ過して生み出されたも結晶。

だから、ほんものの優しさだ。

彼らはカネや権力でもなく、怒りや憎しみや暴力でもなく、 

ただこの悲しみや喪失に裏打ちされた優しさでもって、 

世界と対話している。 

 

映画の終盤に差し掛かって 、

”神山”でるお”監督は数日にわたって失踪する。

アメリカで目の当たりにしてきた、

今まで見ないふりをしてきた現実の

あまりの重さとプレッシャーに押しつぶされて、

逃避したのだ。

まさにその精神状態を具体化したような、

足の踏み場もない残骸のような

都内の小さなアパートの一室を

マヒトはキャメラを回し続ける。

その逃避もまた現実であり、一つの答えなのだと。

しかし彼らはその強大なエネルギーを

全感覚祭という自分たちのやり方で見事に昇華する。

エンディングで流れる『DNA』の軽やかなドラムスに乗って、

小さなエンジェルが青空へと羽ばたく。

映画はそこで終わる。でも現実はなにも終わっていない。

それでもこれほどまでに清々しく感じられるのは、

彼らが結果や答えという形式に縛られない、

ささやかな可能性を与えてくれるからなのだ。

色んな意味を込めて、色んな意見を持った色んな人が

今この時代だからこそ観ておくべき作品だと感じた。

 

終演後、この日は”神山”でるお”監督の舞台挨拶。

アメリカでの出来事、GEZANとの関わり合いなどいろいろなお話を。

その後サイン会があり、少しだけお話し。

よくぞあそこで逃げ出さず、

作品を完成してくれましたと激励しました。

 

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作中にも登場した全感覚祭。

去年はオーディエンスの一人として参加しましたが、

とにかく熱気がすごかった。

今年は参加フリーに加えて、なんとフードフリーの2DAYS。

(ちなみにフリーとは無料という事ではなく、

払いたい分をお客が自分で決めるということ)

会場の設営やフード調理、交通整理、ステージ管理、

あらゆることが全部、自分たちの手で行われるDIY

誰にも分け隔てなく、音楽と自由と腹を満たすフェスを実現すべく、

今年スタッフとして参加します。

 

9/21(土)大阪・堺ROUTE26周辺

10/12(土)千葉・印幡日本医大HEAVY DUTY

 

よろしく!!

 

 

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いくつかマヒトゥ、GEZANのカバーをしていますが、

今回は春に出たばかりのソロアルバムから

『Wonderful World』を耳コピ

独特のメロディーラインを捉えるのがなかなか難しい…