記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『ワンダーウォール劇場版』京都先行上映&渡辺あやさんアフタートーク at 出町座

色々な事情でずっとブログをお休みしておりましたが、ぼちぼち再開します。

日にちを遡って3月のおはなしです。

 

いよいよ待ちに待った『ワンダーウォール劇場版』の

先行上映が3月に京都・出町座で行われ、

記念として、脚本を手掛けられた渡辺あやさんが登壇しての

アフタートークが行われました。 

 

NHK京都発地域ドラマとして2018年に放送されたドラマで、

とある京都の大学の古い寮の存続をめぐって、

大学側と自治学生との間での、価値観のぶつかりあいと葛藤が

等身大の視点でドキュメンタリータッチで描かれた秀作。

このドラマが提供する視点は、

生産性や利便性や経済至上主義によって席巻される世界が、

本当に豊かさをもたらしているのかという、

実に本質を突いた鋭い問いかけで、

まさに今この現代社会が一度立ち止まって深く思考するべき

イムリーな課題に正面から挑んでいる。

本作は京都に留まらず、全国各地、色々なところで話題となり、

ついには映画化に至ることになりました。

ドラマ版を鑑賞した際に作品については書き留めてあるので、

興味がおありでしたら、下のリンクから読んでみてください。

 

 

2019年の夏、映画化の情報がもたらされた際に、 

劇場版としての新たなエンディングの追加撮影があるという事を知り、

そちらに自分も応募させてもらいました。

テレビ版のエンディングは、モチーフとなった吉田寮の学生たちが

実に楽しそうに作品のメインテーマを

オーケストラで演奏するシーンなのですが、 

劇場版でも最後は、出演者と集まったボランティアのみんなで

オーケストラ演奏。

自分も僭越ながらギターで参加してきました。

その様子については下記へどうぞ。

 

 

さてさて、本題です。 

この日は、全国に先駆けて京都での先行上映で、

なおかつ上映後に、脚本家の渡辺あやさんがアフタートーク付。

渡辺さんは自分にとって大切な数々の作品を手掛けられている人で、

特に『その街の子ども』(これもNHKドラマがのちに映画化)という

阪神淡路大震災をテーマにした作品は、

大げさではなく自分の生き様を救ってくれたかけがえのない作品。

追加撮影の際に初めてお会いしたときに、

そのことを直接お話しさせてもらえて感無量でしたが、

その時以来にまたお会いすることが叶うということで、

朝イチの開館を狙ってチケットをゲットしてきました。

 

f:id:arkibito:20200320090511j:plain

 

開場時間に再び出町座に戻ると、

誠光社の堀部さんとバッタリ。

1月に似顔絵をお渡しした時ぶりで、少しだけお話ししました。

実は、誠光社は本作の写真集の出版されていたり、

ドラマ版の際も渡辺さんを招いてトークイベントを催したり、

『ワンダーウォール』や京大吉田寮に深く関わっておられるのです。

 

f:id:arkibito:20200320202924j:plain

 

チケットは立見席も含めて完売でした。 

入場前に消毒、マスクの配布、

扉を開閉し常時空気の換気を実施する等々、 

色々な対策を講じて上映は行われました。

文化の発信基地としての役割をギリギリまで守ろうという

出町座さんの苦心ぶりと心意気、

また地元京都が舞台の本作への並々ならぬ熱意を

ひしひしと感じながらの鑑賞でした。

 

タイトル『ワンダーウォール』が

まさしく明示しているように、本作のテーマは、

単に1大学の1学生寮の存亡にかかわる騒動ではなく、

世界のあらゆる場所に設置された、

人々を分断する”壁”について思考することである。

人種、国家間、ジェンダー、世代間、都市と地方、

貧富、右左等々、あらゆる階層で、

目に見える/見えないを問わず、

人と人とを分断する装置としての”壁”が存在し、

実際に機能している。

これが今人類が直面している最大の課題であり、

新型コロナウイルスによって、

現実世界が生き死にのレベルで

脅かされているという局面において

いよいよ待ったなしで試されているのである。

そして、状況の過酷やさ、深刻さの程度の差はあれども、

「自由」というかけがえのないものが

ほとんど失われつつある香港、

あるいは、ジョージフロイドさんの事件を発端に

人種差別&マイノリティ問題が再燃しているアメリカの状況と、

本質的には同じ問題がぶつかり合う、”壁”の1つの最前線が

この自治寮なのである。

 

劇場版はNHKドラマより約2年ほど月日が流れ、

その間にも実際の京大吉田寮の問題は

否応なく先へ進んでいて、

その分の追加があるのだけど、実際問題としては、

自治寮の立場はより危うい状況に陥り、

だがしかし、いまもってどうにか玉虫色のまま存続しているという状況で、

結局は物量的に優位な者による兵糧攻め的な策略に押し切られ、

時間切れを待っているだけという煮え切らない現実がある。

 

誰にとっても正しい答えなど存在しないということは

わかりきっていながらも、それでも一定の答えを導きだして、

道筋をつけるということもなく、

あるいは事態収拾のために誰かが責任を取ることもせずに、

結果的に生じた現実に対して、

無理やり誰もが納得いかないまま、

諦めたり、後ろ向きながらに受け入れたり、

あたかも問題がなかったことにしたりして、

過去へと葬ろうとする。

過去を検証したり総括したりせず、

現状を批判したり疑問をぶつけたりせず、

明確に答えを出さない、責任を取らないというふるまいが、

日本の社会、あるいは世界でも、

多くの局面でまかり通っているからこそ、

文化的にも経済的にもほとんど末期状態になっている。

吉田寮の現状はまさにそれが可視化された遺物となろうとしている。

 

本作が救いなのは、そのあとに、ファンタジー的に、

オーケストラが実に楽しく楽しく

メインテーマが鳴り響かせるシーンで終わるからなのだが、

映像のそこかしこにちょこちょこ、

自分の姿が映っているのが不思議な感覚だった。

撮影当日は相当に暑い日で、

古い酒蔵に所狭しとプレイヤーが身を寄せ合って、

雑音をなくすためにすべての空調を切ってから、

録音・撮影に挑んだので、それはもう大変でしたが、

それ以上に参加者みんなが実に愉快に楽しそうに演奏して、

小さな楽園のようでもあり、

その気持ちがしっかりと銀幕からにじみ出ておりました。

本や雑誌、テレビなどはちょこちょこと顔を出すことがあるのですが、

映画館のスクリーンに映るのは実に久しぶりのことで、

そういう意味での嬉しさもあるにはありますが、

それよりも大切な人たちの創り上げた大切な作品に

ささやかながら力になれたということの方がとても嬉しかった。

 

映画上映後は、自然と拍手が沸き起こりました。

そしてそのままの流れで、

渡辺あやさんと、聞き手役のライター小柳帝さんが登壇され、

アフタートークがスタート。

 

渡辺さんが最初に本作に関わることになったきっかけや、

そこから現代社会での困難な状況への気づきと反省から、

自治寮の問題についてフォーカスしていった様が詳しく語られました。

そして、まるでアテ書きされたかのようにあまりに自然なセリフが

実はそうではなく、役者たち自身がまさに自分の言葉として

獲得した賜物だったということ、

またオーディションの際に、彼らがほぼ即決で選ばれたということなども

教えていただきました。

また、渡辺さんの次の興味は、

本作で描いた壁のこちら側から、あちら側へと向っているようでした。

なるほど、壁というのは一方向から見つめ続けているだけでは、

決して本質を突くことはできません。

なぜ壁が築かれるのか、どうやって築かれるのか、

壁の向こう側は、こちら側よりも色々な困難や障害があって、

なかなか覗き見ることが難しいようですが、

ぜひそちらの世界も描いてほしいと思います。

 

f:id:arkibito:20200320192109j:plain

 

トークイベント終了後、渡辺さんとお話し。

改めて、『ワンダーウォール』『その街の子ども』についての

思いをお伝えさせていただきました。

それからお土産と似顔絵をお渡し。

(似顔絵の1フレーズは”reminder=思い起こさせる人、呼び起こす人”)

本作主人公の須藤漣君との新作も楽しみですとお伝えしました。

いつもチャーミングな渡辺さんから、

一緒に、ワンダーウォールポーズしましょうと言っていただいて、

記念撮影。ありがとうございました。

 

f:id:arkibito:20200320195722j:plain

 

f:id:arkibito:20200407112114j:plain

 

 

『ワンダーウォール』、この時代、この状況だからこそ、

大切な問いかけやメッセージが詰まった作品です。

全国各地の映画館でも上映が再開されていますし、

オンラインでも様々なイベントや取り組みをされています。

ぜひ一度ご鑑賞ください!!