記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『鈴木成一デザイン室』 by 鈴木成一

書店にて。数多ある本の中からこれだというものを選び取る。
日々の生活において、これはなかなかの難問である。
いくつかの方法の中で、実は一番まっとうなやり方だと思われるのはジャケ買いである。
もちろんこれによる苦い失敗(見かけ倒し)も多々経験済みではあるが、
もしクレジットに、装丁家鈴木成一の名が刻まれていれば、
これはもうほとんど成功したも同じである。
本著は長年、多数の本の表紙をデザインしてきた、
装丁家鈴木成一さんが、自ら手がけてきたこれまでの作品を振り返りながら、
実際の制作にまつわるエピソードを交えて、
装丁のメソッドと哲学について語った一冊。


デザイン室

デザイン室


本の表紙というのは当たり前であるが、本の顔である。
どんなに素晴らしい物語でも、あるいはどれだけ内容の傑出した本でも、
(贔屓の作者である、話題作であるといった)あらかじめの知識がない場合は、
店頭でのわずかな出会いの中で、それを認識するのは極めて難しい。
当然、その場で深く読むことができないからだ。
そういう状況で、作者と読者をつなぐ橋渡し役を担っているのが表紙であり、
その本の良し悪し(あるいは買う買わない)を見極める
ほとんど唯一といっていい判断材料なのである。
物語の内容がきちんと汲み取られていることは当然のこととして、
そこにある作者の意図やメッセージを一目見てわかる状態に具現化させる
(表紙だからグダグダと解説することはできない!一見必殺が肝要)、
それも無数の本が並ぶ店頭でその本のオリジナリティを際立たせる、
これは決して簡単なことではない。


装丁というのは、俳句のようなものだと思う。
俳句は世界を5・7・5の最小の文字で切り取り、
見えていなかった世界の美しさだったり、
一瞬の輝きを捉えたりする芸術であるが、
装丁もまた、本文に刻まれた物語の核心を抜き出して
それを一枚画だけで表現するという非常に高度なイマジネーションの結晶だといえる。
それはもはや単なる本文の要約やまとめという範疇を越えたところに存在し、
作品に新しい命を吹き込むような作業だと思う。
本の中身と表紙とがピタっとシンクロした本というのは本当に美しいものである。
そして、鈴木さんの手がける本はえてして美しい。


本というのはそういう側面も間違いなくあって、
ただ単に情報として知識を取り入れるという単純な作業(input)ではなく、
作品として読む(read)ものであると私は思う。
作者によって積み上げられた、ただの文字の羅列を見て、
世界や物語をそれぞれの頭の中で想像し構築するという
完全なイマジネーションの行為だからだ。
もちろん読まないよりは読んだ方がよっぽど豊かであろうから、
本離れの激しいと言われる人たちには電子ブックというのも有効だとは思うが、
そもそも読書とは便利さとか効率性とか
そういうものの範疇から外れたもの(会議の資料やマニュアルとは違う!)だと思うので、
自分はやっぱり重たくても単行本を買ってしまう。
いつでもどこでもとっかえひっかえ呼び出して読むということよりも
一冊の本を本棚から選び出し、それを持ち歩き、
その一冊に真摯に対峙したい。
少なくとも鈴木さんの装丁はそう思わせてくれるだけのものである。