記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

金沢王道コース デザインの本質を探る旅?

北陸旅行2日目。
加賀温泉を9:36に出発して、30分ほどで金沢にとうちゃこ。
さすがシーズンなのと、
新幹線で東京から一本ということもあってか、
駅前からものすごい人出です。
こちとら人数もいてベビーカーなので、
無理にバスは使わずにタクシー移動。
金沢に来たら寄らずにはいられないのが21世紀美術館ですね。
美術館内はすごい人で、チケットブースからすごい行列でしたが、
やっぱりここは外すわけにはいきません。


金沢21世紀美術館


レアンドロのプール


行ったときは、「工芸とデザインの境目展」というのをやっていました。
どちらもモノづくりという意味では同じで、
しかもどこまでが工芸でどこまでがデザインなのか、
線引きが非常に曖昧ですが、
「プロセスと素材」「手と機械」「かたち」「さび(経年変化」
といった観点からその境目を模索するという内容の企画。
例えば、タイプライターとiMAC
バカラのグラスとIKEAの割れないコップ、
昔のコカコーラの瓶と、今のコカコーラのスリムボトル
石垣とコンクリート壁などといったような
同一の目的で作られた商品を、
古い時代の道具たちを”工芸”、最新のツールを”デザイン”として
対比するという展示の仕方でした。


個人的な感想としては、
ますますその境目がどうなのかわからなくなるような感じでした。
つまりこの企画で”工芸”と位置付けられたモノの方が、
”デザイン”と位置付けられたモノよりも、
デザイン的に優れていると感じたからです。
結論としては、「工芸」とは、
まず最初に何か作業や仕事(料理や木工)があり、
それらを効率かつ正確に行えるものとして生み出された道具が、
機能美としてデザイン的な素質を発するもの。
一方、「デザイン」とは、モノの機能的な内面から湧き出たものではなく、
コマーシャル的な意味合いから表面的に飾り立てられたものであり、
それによって消費行動へと駆り立てるための一種のお化粧にすぎない、
として捉えた方が個人的には随分しっくりくる。


結果的に製品をプロダクトするという行為は同じだったとしても、
その出発点、あるいは考え方の原点が、
いいモノを”つくりだす”ということが、
いつしか多く”売る”というところにすり替えられた時、
没個性化が始まり、真の意味でのデザイン的な魅力を見失う。
誰にでも使い勝手がよく、誰にでも受け入れられる、
けれども、無味無臭、人畜無害な
極めて凡庸なものが世界を席巻することになる。


アパレルの世界でいう”ユニセックス”デザインなどというものは、
文字通り男である女であるという根本的なボーダー=個性すらも
ある意味否定したものだ。
男にも売れる、女にも売れる、シェアが拡大する、売り上げが上がる。
それは商業的には成功かもしれないが、それは求められたものなのか。
昔のスポーツカーや、ビートルなどの
個性的なフォルムやデザインに胸躍らせても、
どのメーカーも似たり寄ったりの現代のツルンとした
家電自動車にもはやロマンは感じられない。
1つとして違いのない真っ白なiphoneに対して
黒電話やピンクの公衆電話のもつ”味わい”とは
決してノスタルジー的な意味合いだけではないはずだ。
しかし機能や効率が格段に向上するのに反比例して、
デザインはどんどん形骸化してゆく。
便利で快適で文句もないが、ただつまらない、面白くない。
これは製品やデザインという世界に留まる話ではなく、
フォーマット化された店舗、住宅、芸術作品まであらゆる世界で
同時進行的に起こっているデザインの砂漠化だ。


町に溶け込んだ老舗の珈琲屋と
スターバックスの対比がわかりやすいかもしれない。
前者は、もちろん商売として
コーヒーを提供するということが前提だとしても、
町の人たちのくつろぎの場を提供するといった
別の側面を持ち合わせていて、
そのお店の持つ場の魅力というものは、
そこにしかない=ユニークなものだ。
一方で、スターバックスは、
もちろんくつろぎの場を提供するということもあるにせよ、
結果的にはサービスを「売る」「買う」という場所でしかなく、
そのお店の持つ場の雰囲気というものは、
全国どこでも同じサービスが受けられるという均一化が支配する。


あるいはビールなど、日本のどこで飲んでも
同じ商品であれば同じ味がするはずだが、
ファミレスやファストフード店で飲むよりも、
老舗の角打ちやベースボールスタジアムで飲む方が
うんと美味しいに決まっている。
また、きっと、そこが会社の会議室や便所だったら
好きなビールも飲めたもんじゃないだろう。
このように、単に商品を売る・買う、使いこなすといった、
消費や効率の範疇に留まらないものを
人は敏感に感じ取って生きているのであって、
そういう部分こそ、人間の求める豊かさそのものだと思うし、
それを追求することこそが、
本当の意味での”デザイン”なのではないだろうか。
今のデザインのほとんどは、
商品を売るためのツールに成り下がっているものがあまりに多い。
現代社会には”消費”という病魔はどこにでも棲みついているし、
どの分野・世界でも巣食っている。
売れること、シェアを占めること、
流行のメインストリームを席巻することが正義だと
本当に信じられている現代社会で、
”工芸”を取り戻すには、
やはりモノづくりの原点を見直すこと、
豊かさの本質を探る必要があると改めて感じました。
そもそも日本人はそういうワビとかサビと称されるものへの
気遣いとか感性に長けているはずだと信じたいところです。


↓「トーマス・ルフ」展


つづいて同時にやっていた「トーマス・ルフ」展。
アンドレアス・グルスキーなどと並ぶ、
ベッヒャー派を代表するドイツの写真家です。
自ら撮影した写真の作品に留まらず、
例えばネット上にあふれる大量の画像データや、
NASAの衛星画像といった既存の画像を加工した作品などを発表しつつ、
溢れかえる画像に囲まれて生きる現代社会においての
写真・メディアの在り方についての視点を与えています。
非常に冷ややかなまなざしから捉えられた写真たちの
無言の佇まいのすごみというか、
そういうところがベッヒャー派ならではでした。
初期の「ハウス」というシリーズの写真が、
自分の感性にぴったりで見入ってしまいました。


↓カラー・アクティヴィティ・ハウス by オラファー・エリアソン


美術館を満喫したら、
すぐ近くにある気になっている本屋さんに向かいます。
「Books under Hotchkiss」という流通に囚われない新しい本屋さん。
2Fがギャラリーのようになっていて、
そこにものづくりや表現者さんの作品を展示して、
そのテーマや内容に関連する本を期間中に1Fで販売をするという形式。
3か月ごとに入れ替えがって、
その度に商品も全部入れ替えるということで、それもなかなか面白い。
この間のスタンダードブックストアさんでの本屋トークや、
さきほどの工芸とデザインの話にもつながりますが、
単に本を物販するということではなく、
本というものを糸口にして、
”知”をやり取りする場をデザインするということの実践とでもいう感じです。
この時は、「Books & Dogs展」ということで、
たくさんの作家さんやデザイナーさんが
犬にまつわる本をチョイスしたものが並んでおりました。


↓BUH - Books under Hotchkiss


↓Books & Dogs展


↓不思議な本屋です


さて、すっかり時間が過ぎて14時近く。
おなかペコペコですので、遅めのお昼ご飯にすることにします。
ということで片町までトコトコ歩いていたのですが、
途中で次女がどこかで片方の靴を脱いで無くなっていて、
慌てて歩いてきた道を戻って、道端に転がっているのを無事救出したり。
マカオで長女がサンダルをなくして、
大慌てしたのを思い出しました。
姉妹そろって靴なくすな〜。


で、お昼ご飯には名物の金沢おでんを、ということで、
「赤玉本店」になってきました。
ここの牛スジ煮込みが本当に上品な味わいでおいしくて、
注ぎ金沢に来たら絶対食べたい!と思っておったのです。
昼間からお酒をいただきつつ堪能させていただきました。
んまい!


↓赤玉本店


↓お目当ての牛スジ煮込みを能登の宗玄で


↓金沢おでん


ゆっくり遅めの昼食を済ませたら、
帰りの電車まであまり十分な時間が無くなってきましたが
せっかくなので、ひがし茶屋街までワープして散策。
町家を改装したカフェで一服したり、お土産を物色したり。


↓ひがし茶屋街


↓和カフェで休憩


↓ちょっとブレイク


金沢駅まで戻ってきて、電車の時間まで駅ビルでおみやげタイム。
ちょっと戦列を離れて地酒ブースへ。
自販機で入れたお酒呑みつつ、見て回り、1本お買い上げ。
あとは晩御飯にお弁当とか、色々。


↓ラストの酒


帰りのサンダーバードはモロ混みで大変でしたが、
20時ごろに無事に帰宅しました。
なんだかんだ子連れ旅は大変ですが、
カニも酒もアートも満喫できた北陸の旅でした。