『星の王子さま サン=テグジュペリからの手紙』at 京都春秋座
星々をめぐる銀河航路に降り注ぐ、
可笑しみと哀しみと。
舞台狭しと躍動する身体と、
豊かな音楽によって物語られる、
ロマンチックで慈愛に満ちた極上の舞踏会。
at 京都春秋座。
美しく優雅に、愛すべき物語を歌い、舞い、
表現を尽くしたキャスト、スタッフの皆さんに
惜しみない賛辞の拍手を。
12月初旬。
ずっと首を長くして楽しみにしていた演劇が無事に開かれました。
演出家・振付師・ダンサーの森山開次さんが
ダンス作品として再構築したものです。
美雨さんが、舞台に出演されるということもあって、
これは絶対に観に行かねばと家族で申し込んでいました。
ということで京都造形大学改め、
京都芸術大学の春秋座へ。
大学のエントランスから、劇場までの導線の間も、
徹底的にコントロールされていて、
座席も1つ1つ間をあけて、
取りうる感染防止対策が講じられていました。
コロナ禍の最初期に、劇場での感染が
ことさらに強調されてしまったことで、
あらゆる文化的な活動、特に舞台・劇場関係の皆さんは
本当に本当に苦しく厳しい時間を過ごさざるを得ませんでしたが、
そこで歩みを止めるのではなく、
どうしたら活動が可能かを徹底的に突き詰め、
思考・検討し、取りうる対策を徹底的に講じることで、
絶対に感染者を出さないという並々ならぬ意気込みで
ここまでクラスターを発生させることなくやってこられました。
本当に頭が下がります。
劇はセリフは一切なく、
歌と踊り、装飾といったノンバーバルな手法で
『星の王子さま』の各シーンを表現していきます。
なんといっても目を見張るのは、
しなやかで大胆で有機的な身体表現の雄弁さ。
まるで深海に棲む原始的な生き物の、浮遊感漂う動きや、
乾いた砂漠の風にはためく小さな花弁の揺れる様が
想像できるような、独創的かつ魅惑的な動きの数々。
ダンサーの皆さんの生き生きとした
息遣いと眼差しがひしひし感じられる躍動感、
それでいて実にエレガントな所作。
肉体がこれほどまでに表現に長けているとは
驚きを隠せませんでした。
そして、そのダンサーたちの見事な動きに
豊かな物語性を加える、
ひびのこづえさんによる衣装が実に素晴らしかった。
生物のもつ根源的な美しさと同時に、
生物ならではの”ヘンテコさ”を
見事に象った衣装は、
間違いなくこの舞台の主役の一つでした。
衣装として観客にいかに魅せるかという
デザイン性はもちろんですが、
激しいダンスにも応えられるだけの
機能性や動きやすさが求められたはずで、その回答として、
魅せる衣装というよりも、
ダンサーの躍動する「身体」を強調するような
機能美に満ちたデザインは、
ダンサーの身体表現をことさら際立たせ、
それは衣装を越えた皮膚のようでした。
また日比野克彦さんが手掛けた舞台美術も素晴らしかった。
まるでモノのエッセンスだけを絶妙に抽出したような
シンプルに研ぎ澄まされた小道具たち(遠眼鏡や飛行機など)の
親しみやすいクラフト感。
風船やレースの布といった素材の持ち味を生かした
浮遊感漂う舞台装置。
それらは決して派手に主張することはないのだけど、
寓話の世界観を見事に型取っていました。
そして、響き渡る美雨さんの透明な声。
それはまるで宇宙に吹く風のようで、
どこまでも伸びやかで、遊び心にあふれ、
説明的なセリフの代わりに、
見事なストーリーテラーの役割を果たされていました。
阿部海太郎さんの儚さを帯びた音楽も実によかった。
非言語劇なので、ダンスと同時に音楽は、
物語を語るうえで極めて重要なものでしたが
これはもうサントラを切望します。
そして、実は最も注目したのは、
劇の中に溶け込みながら行われた、
佐藤公哉さんと中村大史さんによる見事な生劇伴。
場面に応じて、さまざまな楽器に持ち替えながら、
ほとんど2人がかりで(時々美雨さんとのトリオで)、
全ての愛おしい音を奏でていくのを
リアルタイムで目撃できました。
これはとても貴重な体験でした。
子ども達(特に次女)にとっては、セリフなく、
物語のあらすじを追っていくのが
ちょっと難しいかなと心配していましたが、
1つ1つのシーンのリアルに躍動する様を、
真剣なまなざしで見入っていました。
特に、ひときわ鮮やかに真っ赤なバラを咲かせていた
バレエダンサーの酒井はなさんの舞いに
深い感銘を受けていました。
これだけ豊かな表現に
子供たちと一緒に触れることができて、
本当に素晴らしい日となりました。
そしてこのような感動や驚き、
心が揺り動かされる体験は、
やはり臨場感あふれる生の舞台でこそ味わうことのできるものだと
改めて確認できました。
ぼくたちは決して0と1にすべて置き換えられてしまうような世界にではなく、
風吹き、心動く、現実という大地に根を張って生きているのだから。