記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

最果タヒ展 at 心斎橋パルコ

最果タヒ展。
言葉の質量、その重さあるいは軽さについて。
わたしが吐息のように吐いた誰にも届くはずのなかった言葉たちが、
冬の空気に触れて凍りついたとしたら、きっとこんなだろうか?
あの人の、わたしの、誰かの感情のカケラが宿る言葉の森に、
あなたの言葉もきっと眠っている。 

 

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3月某日。

去年11月に新装オープンした心斎橋パルコへ。

自らの素性をほとんど明かさないがゆえに、

ますます彼女の実態・深層について知ってみたい、触れてみたいと

気になる存在であり、

実際、若手の詩人として今各方面から熱い注目を浴びている、

最果タヒさんの展覧会にいってきました。

 

デコレーションされた形容のファンタジー世界ではなく、

SNS時代の実にドライでリアルで生々しい言葉の中に、

時に破滅的なほどの脆さや、

暴力的なほどの鋭利さが見え隠れする彼女の感性は、

内面の宇宙を照らし出す羅針盤のよう。

作品の一つ一つが完成され完結しているというよりは、

彼女の紡ぎだしたおびただしい数のセンテンスを、

ランダムに抜き出したり、

乱暴にページをめくった先に印字されている言葉や詩、文を

でたらめにつなぎ合わせたり、ループさせたり、

そうやって言葉と戯れることで生まれる一種の浮遊感が

居心地の良さ(あるいは悪さ)を感じさせるのだ。

 

そして、彼女が彼女自身で紡ぎだした言葉に、

様々なデザインやメディアアートを組み合わせることで、

言葉のエネルギーに具体的な身体を与えて、

接触れたり、視覚に訴えたり、

今までにない詩の楽しみ方感じ方について

積極的に取り組んでいること、

そうすることによって、

詩をガラスケースに収められた

高尚で形式ばったとりつきにくいものという印象から、

日常生活のあらゆるシーンにはじめから紛れ込んだ、

私たち自身の感情のカケラなのだと知らしめてくれる。

詩そのものの領域を超えた取り組みに感心するというか、

素直に素敵だなと思う次第なのです。

詩そのものがそもそもクリエイティブではあるけれど、

そのクリエイティブな産物を材料として、

さらにクリエイトするというか、

既存の楽曲をMIXすることによって、

新たな楽曲や可能性を生み出すDJ的な役割的な???

 

ということで、詩の展覧会はあまり行ったことがなく

(というより詩の展覧会ってそんなにやってない?)

どんなものか興味津々でした。

 

まず入ると、壁伝いに、あるいは、

様々な立方体に張り付くようにして、

詩が展開されている。

言葉に導かれるように視線が動く、

光の加減で言葉の表情が変わる。

 

面白かったのは、円形に詩が張り巡らせてあって、

それはセンテンスの切れ目がなく、

どこから読んでもいいし、どこまでも読んでもいい。

そうして永遠に詩がループする。

表現に表現が掛け合わされて、実に面白い。

 

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その先、真っ白なトンネルを抜けると、

そこは深い深い言葉の森。

いくつもの感情の断片が、

ほのかな空調の風に頼りなく揺れている。

何にも飾られていない素のままの言葉の森を分け入っていくのだが、

目に飛び込んでくる言葉、その順番は、

人によって違うし、あるいは時と場合によっても違うし、

もっといえば、二度と同じようには決して飛び込んではこない。

心穏やかなら、きっと優しい言葉が目に留まるだろうし、

悩みを抱えていたなら、救いの言葉を探すだろう。

あるいは漠然とした不安に駆られていたなら、

「死」という文字を意識するかもしれない。

いずれにせよ、私があの日あの時、

くぐりぬけた言葉の森から産み落とされた一編の詩は、

もはや作者のものでもなく、

あの日あの時一回きりの、私だけの詩なのだ。

 

そんなアウラな体験がなんとも心地よくいとおしい。

これは本に印字された言葉をなぞるだけでは体験できない、

まさしくリアルの場でこそ得られるもの。

 

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次のトンネルをくぐると、

言葉はあらゆるメディアを侵食し、浸食されている。

スマホや巨大ディスプレイに浮かび上がっては消える文字、

でたらめに並べられた本の背表紙の言葉を数珠繋ぎしてみる。

 

言葉は私たちの生活のどこにでもあり、

四六時中、誰かが誰かに(一体誰に?)メッセージを発信し続けている。

美しい言葉、力強い言葉、感情の乗らない言葉、怖い言葉。

私が2つの目を通して見えている視界に入っている風景から、

音のレイヤー、色のレイヤー、様々なレイヤーを外していって、

文字のレイヤーを再上段に設定したら、きっとこんな風だろうか?

 

あるいは我々が攻殻のごとく、電脳化して、

自分の目から見える世界に、スカウターのようにして、

様々な文字がホログラムのように風景の中に立ち上がってきたなら、

こんなだろうか?

そんな妄想を、実現する以前に再現する、

それもアナログ的な手法で、というような感じ?感じ。

 

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最果さんの詩は、本と相対峙して読む作品然としているというより、

右耳から入れて、左耳から流したり、

何度もよく噛んでは反芻して入れたり出したり入れたり出したり、

そういう言葉の摩擦行為が発火点となってスパークする

感情の花火を打ち上げるような感じで、

それをこうやって体感できてとてもよかった。

 

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