記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『この世界の片隅に』聖地巡礼

先日の呉のはなし。
この世界の片隅に』の舞台となった呉の町を歩いて、
すずさんたちの暮らしぶりを偲ぶというのが旅のメインでしたが、
時間の関係でまずは灰ヶ峰への山登り。
(山登り記事→http://d.hatena.ne.jp/arkibito/20180115/1516008181
下山して、宿への道すがらに、
山の手側の聖地巡礼スポットをめぐることにします。


ちなみに呉駅やインフォメーションには、
映画のロケ地マップが掲示されていて、便利です。
ある時期まではMAPを配布していたようだけど、
この時は見つけられなかったので、
ひょっとしたらもう品切れかもしれませんね。


ちなみに聖地巡礼の記事を上げる際は必ずお断りしていますが、
各施設は決して観光スポットや商業施設ではなく、
地域住民の生活の場ですので、
むやみに大勢でどしどし訪れたり、大きな声で騒いだり
近隣の迷惑にならないようにくれぐれも
マナーを順守してください。
ちなみに写真のキャプションの番号は
一番下の場面一覧と一致しています。


↓ロケ地MAP


↓インフォメーション


↓バス停にて。三ツ蔵までの案内


登山口からまずはすずさんたちが住んでいたとされる
某地区へ向かいます。
呉の町は、四方を山に囲まれた小さな平野部で、
そこに向けて灰ヶ峰をはじめとする山々から、
四方に枝分かれした支尾根が海へ向かって伸びており、
その起伏にへばりつくようにして住宅街が広がっています。
ちょうど映画でも周作さんが説明しているように、
山が四方を取り囲んでいて、
九の嶺(山)=九嶺(きゅうれい)が訛って、
呉という地名の由来になったともいわれています。
なので、呉の町を横断しようとすると、
いくつもの支尾根をまたいでいくことになるので、
何度もアップダウンが続きます。


↓呉は坂の町


難儀しながら、階段をこなしていくと、
進行方向に鉢巻山の山並みが見えます。
すずさんが、畑から自宅から何度も仰ぎ見た空と山の景色。
ある時は、あの山を旋回する戦闘機の空爆が、
色とりどりの噴煙をあげ、
ある時は、あの山の向こう側に、
今までに経験したことのないような眩い閃光が走り、
おどろおどろしいキノコ雲が沸き起こったのです。


↓鉢巻山の向こう側で原爆が…


映画で描かれていたすずさんたちの住まう地区は、
相当に山の高いところで、
その斜面を削り取って家屋や田畑を造成していましたが、
実際にこの辺りは相当な急斜面。
そこにしがみつくようにして建物がひしめき合っています。
現在ではたくさんの建物が立って、
当時とは全く違う景色でしょうが、
恐らくこの地形だけはそのまま変わっていないと思います。
呉の町とこちらと、荷物を担いで徒歩で行き来するというのは
それだけでも結構な重労働だったろうと思います。


↓すずさんの集落


西教寺


↓こういう急斜面に暮らしてたのかな


個人的な経験則として、
坂道のある町にはドラマがある。
大好きな尾道もそうだし、長崎もそうだし、塩屋もそう。
そしてこの呉の港町もそうだ。
平地に比べて、登ったり降りたり、
”道のり”というものがより実感として伝わるからかもしれない。
その距離的なもの、地理的なものが
町の印象に奥行きを与えるからだろう。
そして、その奥行きによって生み出される
様々な暮らしのドラマを1つ1つ垣間見るというのは、
旅の醍醐味でもある。


↓(1)辰川バス停


↓すずさんの生活道


↓すずさんの生活道


↓(2)畝原自治会館


↓(3)旧辰川小学校


いくつか近辺に描かれているスポットを見て回り、
そのまま海側に向かって降りていく。
途中、聖地巡礼のシンボル的なスポットに出ます。
「三ツ蔵」と呼ばれていますが、
国の重要文化財「旧澤原家住宅」で、
中国地方を代表する大規模商家の暮らしぶりを今に伝えています。
すずさんが呉の町へ出るシーンで何度か登場し、
とても印象に残る特徴的な建物です。
それにしても映画の描写は実物そのまんまです。
思わず、すずさんの暮らしていた時代の呉の町へとタイムスリップ。


↓(4)三ツ蔵


↓三ツ蔵


山間から呉の中心部へと下ってきました。
ちょうど降り立った地点から少し進むと、
遊女のリンさんと出会う朝日遊郭のあった朝日町。
もはや当時の面影は全く残されていないが、
付近に流れる堺川の橋に「朝日橋」の文字が刻まれている。


↓(5)帰りの目印の郵便局のあったところ


↓(6)遊郭のあった朝日町


↓朝日町


↓朝日橋


何か痕跡らしいものは残っていないかしらんと
散策していると、妙なものを見つける。
バスが通る並木道には等間隔で電信柱が並んでいるのだが
そのうちの1つだけ、どうも形状がおかしい。
近づいてみると、
何か元あった一回り大きな土台の上?中?に電信柱が伸びている。
場所的に、ひょっとしてこれは
遊郭の入り口に立っていた楼門の一部なのかもしれない。
確証は得られないので、間違いかもしれませんのであしからず。


↓(7)遊郭の裏門


↓おや?


↓表門の跡?


朝日町を後にし、付近を散策。
ここから少し山間へ戻ると、千福さんがあります。
「千福一杯いかがです〜♪」のCMでおなじみの
呉の銘酒・千福を醸す三宅本店さん。
以前、呉を訪れた際に、工場を見学させていただいたことがある。
ちなみに呉の地酒には、この「千福」のほかに、
最近勢いのある「雨後の月」や「華鳩」、
「白天龍」「水龍」「宝剣」「音戸の瀬」「三谷春」とあり、
広島きっての酒処でもある。
それもそのはず、先ほど上った灰ヶ峰の湧き水が呉の町の出発点であり、
名水を求めて港が造られ、酒が造られる。
土地と暮らしはいつでも一体なのだ。


↓千福


さて、そろそろ街へと戻ろう。
朝日町を抜け、相生橋のたもとへ。
堺川から一筋入った何の変哲もない路地を歩く。
ここはすずさんが、砂糖を求めて出かけた
「東泉場」と呼ばれる闇市が開かれていた場所。
これより海側は歓楽街だったり、海軍の工場地帯で、
ここが呉市民の台所として栄えていたのである。
その一角はには今の地元を支えるスーパーが建っていて、
やはり場所の役割は時代を経ても引き継がれている。
と、よく目を凝らしてみると「とうせんば」の文字を発見。


↓(8)砂糖を買いに行った東泉場のあった一帯


↓今は三和ストアー


↓とうせんば!


そのまま駅方面へ進んで、中央橋に出る。
振り返ると、夜の帳にひっそりとフェイドアウトしようとしている
灰ヶ峰の黒いシルエット。
映画のラスト、戦争孤児となったヨーコをおぶって、
広島から戻ったすずと周作がぽつぽつと家路につくシーンそのままだ。
帰る場所がある。
それが幸せの第一歩だとでもいう風に。
思い出すだけでも泣けてくる。


↓(9)帰り道


この日の最後は堺川にかかる小春橋。
当時、市電が通っていた目抜き通りの堺橋のひとつ上流の橋です。
忘れ物をとどけてくれるようにと周作から電話を受けたすずさんは、
珍しくお化粧をパンパン。
周作には白すぎると言われてしまいますが、
そこがまたすずさんのかわいらしいところ。
せっかくだからと映画デートへ繰り出すも、
ちょうど艦艇が寄港していて町は大混雑。
仕方なく映画をあきらめて、
2人がたどり着いたのがこの小春橋でした。


↓(10)小春橋


ということで、
ひとまず1日目の巡礼はここでおしまい。
翌日の朝に海側をめぐります。


翌日8時に宿を出て、呉の海側へ向かいます。
空はどんよりと雲が垂れ込め、しとしとと冷たい雨。
なんとなく物悲しさを帯びた呉の町。
宿は本通りに面していて、
少し歩くと「四ツ道路」の交差点。
この言ったには呉で一番大きな闇市が建った場所だそうです。
今は当然その面影もありません。


↓四ツ道路


そのまま本通りを進み、
JR線をくぐるところが「めがね橋」という交差点。
めがね橋はJR線の高架の橋を指すのではなく、
ここには昔本当にアーチ形のレンガ橋が水路に架けられ、
一般市民と海軍との区域の境界線としての役割を果たしていました。
(今でもひっそりと地下に埋められているらしい)


JR線をくぐると、映画で特徴的な風景として残っている
旧海軍下士官兵集会所(通称・青山クラブ)の建物が見えます。
軍港が入港時に、下士官と水平の滞在用の施設として立てられたもので、
丸いコーナー部分がユニーク。
耐震問題で、取り壊しが検討されていましたが、
多くの市民の要望が叶って、つい先日、
全面保存に方針が転換されました。
これも映画の影響が多分にあったと思います。
この辺りはすでに、海軍の敷地内で、
すずさんが忘れ物を届けるシーンで登場します。


↓(11)めがね橋のところ


↓(12)集会所前


入船山公園を右手に、緩やかな坂道を登っていくと、
ドンツキに階段があります。
径子と晴美ちゃんが元夫の下関の家へ向かうため
駅に来たのだが、すごい混雑で待たされる間、
空襲で負傷した義父・延太郎が入院していた
海軍病院へとお見舞いに行きます。
その病院がこの階段の先にあり、
今でも医療センターが建っています。
ちなみにこの階段は現在は通行禁止になっています。


↓(13)病院への階段


さらにそこから、坂道を進んでいきます。
現在、高校の敷地となっているところが、
映画で、突然の空襲警報ですずさんと晴美ちゃんが
逃げ込んだ共同防空壕のあったところです。
駅にいるお母さんを心配し、不安がる晴美ちゃんのため、
すずは得意の絵を地面に描いて落ち着かせます。
空襲が止み、外へ出た2人は防火用水用の水でのどを潤します。
そして…


晴美「ねえ すずさん、あっち見てってええ? 
何の船が居りんさったか お兄さんに教えてあげるん」
すず「えー見えるかね?」
晴美「ちいとだけ ちいとだけね?」


2人は、駅とは反対の方向へと歩き出してしまいます…


↓(14)防空壕のあったあたり


たどり着いた高台。
普段は遮蔽壁が張り巡らされて、
軍港の様子を覗き見ることはできません。
しかし、あの日、
空襲によって1か所だけぽっかりと穴が開けられてしまいました。
晴美ちゃんは無邪気にそちらへと駆けてゆく。
すずさんも手を引っ張られてついて行く。
そこからは海と港の様子がすっきりと見渡すことができました。
しかし、その瞬間、悲劇が二人を襲いました。


ほんの少し気づくのが早ければ。
あるいはもう少し近づくのが遅ければ。
寄り道をせずに、駅へ向かっていれば。
あの日お休みをせずおとなしく学校へ通っていれば。
でも、もう時間は巻き戻りません…。


晴美ちゃんはただ、お船が見たかった。
下関のお兄ちゃんへのみやげ話に。
すずさんはただ、その気持ちに応えてあげたかった。
ただそれだけのこと。
ただそれだけのことだったのに。


戦争はすべてを奪う。
世界の片隅のささやかな日常でさえも。
得るものなど何一つない。
ただ残酷で悲惨な愚行。
それでも、今日もなお世界から戦争はなくならない。
そしてこの日本でさえも、
その恐怖がひたひたと現実味を帯びている。
戦争はいけない。戦争はいけない。
すずさんや晴美ちゃんのような悲劇を二度と生み出してはいけない。
そんな反戦への気持ちを新たにしつつ、
晴美ちゃんとすずさん、
そして実際に空襲に遭われた呉の人々、
戦争で亡くなったすべての方々を思って、
そっと手を合わせました。


すずさん、空が泣いています。


↓港が見渡せる高台


↓(15)悲劇の場所


ここからは呉の港の様子がよく見渡せます。
ちょうどこの日は、呉港をベースとしている
護衛艦「加賀」がドック入りをしていました。


↓ドックが見えます


護衛艦「加賀」


↓見応えあります


↓立派な産業遺産


しばらく留まっているうちに
随分と雨が強くなってきました。
悲しくてやりきれない気持ちを引きずりながら、
とぼとぼと海自の呉地方総監部へと下ってきました。
そこから自衛隊の敷地を抜けて、
中央桟橋に到着。
いよいよ呉の旅の終着点です。
現実の世界と映画の世界、
2018年と1945年、
時代と世界を頭の中で行き来しながら、
とても印象的な街めぐりをすることができました。


↓中央桟橋


↓中央桟橋より


↓中央桟橋より


↓オマケ(てつのくじら館)


次の目的地、広島へ向かうため駅へ。
電車まで少し時間があったので、駅の売店をのぞくと、
いくつか関連のグッズがありました。
娘にはタオルや文房具、自分みやげにお酒を購入。
お酒は特製ラベルの千福。
きっと北条家でも祝いの時に飲まれていたことでしょう。
このお酒は次の8月6日まで大事に取っておこうと思います。


↓『この世界の片隅に』ラベル


↓千福さんのお酒です