記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

「風街ヘブン」by 寺門孝之 at 相楽園

10月某日。

神戸の山手にある、日本庭園で有名な相楽園へ。

その敷地内にある重要文化財・旧小寺家厩舎を会場として、

地元神戸の画家・寺門孝之さんによる絵画展

『風街ヘブン』を鑑賞しに行ってきました。

 

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そのタイトルからわかるように、

ぱっぴいえんどのドラマーで、

時代を彩ってきた数々の名曲の歌詞を生み出してきた、

作詞家・松本隆先生の言葉の世界からインスピレーションを受けて、

歌の世界観を寺門さんのフィルターを通して

絵として形にすると言うのがテーマです。

 

赤いスイートピー」「風立ちぬ

「はいからはくち」「風の谷のナウシカ

君は天然色」「木綿のハンカチーフ」etc

 

絵の脇に松本先生の歌詞が添えられ、

言葉を紐解きながら、

幸福感に満ちた色鮮やかな絵の数々を観ると、

その2つが合わさることで、

まるで物語が立体的に浮かび上がってくるようです。

 

さて、松本先生の歌詞の中(タイトルにも)には

たくさんの「色」あるいは「色」にまつわる表現が

たくさん出てくるのですが、それらの中には、

実在しない色(つまり絵の具にないもの)が登場するのが特徴です。

 

「春色の汽車に乗って~」(『赤いスイートピー』)

「映画色の街~」(『瞳はダイヤモンド』)

「渚色のカーブ~」(『派手!』)  etc.

 

 

『空いろのクレヨン』

『夏色のおもいで』 

君は天然色』 etc.

 

それから有名なエピソードですが、

赤いスイートピー』も、

当時はまだ赤い色の品種が存在しておらず、

歌の大ヒットを受けて、新たに品種が作られたという意味では、

当時は実在しない色だったと言えます。

 

また『木綿のハンカチーフ』では、

「都会の絵の具に染まらないで帰って~」という表現も、

受け取る人にとっていろいろな色が浮かぶ想像の産物ですね。

 

今回の寺門さんの絵を観て一番印象的だったのは、

松本先生が想像/創造したそれらの色、

ずっと頭の中で思い巡らせてきた色彩の風景が、

まるではじめからそうだったかのように、

鮮やかに再現されていると感じたことでした。

 

歌を色彩で感じる、また逆に絵画が奏でる歌を聴き取る、

これほどイマジネーション豊かなことが他にあるでしょうか。

とても素晴らしい経験でした。

 

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すばらしい色彩の風景の一角に、モノクロームの絵が3枚。

『Tシャツに口紅』『乱れ髪』『瞳はダイヤモンド』

ショートショートの女性のまっすぐな眼差しに、

すっかりと射抜かれて、思わず目が眩みました。

 

松本先生は女心のわかる人と言われますが、

まさしくこの絵の彼女こそ、

松本先生の歌の主人公だと確信します。

(寺門先生によれば、この3枚は実際に女性をモデルに立ててデッサンしたそう)

 

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1枚1枚とゆっくりと対峙して語らい、

くまなく満喫しました。

それからショップで、ポストカードセットを購入。

この日は寺門先生が在廊されていて、

どれか1枚にサインを描いていただけるということで、

悩みに悩んで『はいからはくち』に書いていただきました。

 

それぞれの絵の思い出や、

歌のことなど少しだけお話しできました。

すると、今年になって、ずっとお出かけの際に身に着けている

自作のトートバック(ナポリタン)を目にされて、

「それとてもいいね!」「え?オリジナル?やるなあ!」と

まさかまさかお褒め頂きました。

会場のスタッフの方々からも、かわいらしい。

ナポリタン食べたくなりましたと、思いがけず言っていただいて、

なんだかとっても嬉しくなってしまいました。

 

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ということで、とてもイマジネーションが刺激される素晴らしい展示でした。

何よりうれしいのは、

東京オリンピック前夜の渋谷界隈の原風景だったはずの「風街」が、

時代に乗り、風に乗り、

港町神戸にたどり着いて、そこに種を落とし、

その風景に育てられた人たち、

あるいは新たにそれを発見した若い人たちの想いによって芽吹き、

この令和の時代に、新たな「風街」として、

それも生きる場として、はっきり立ち上がったということです。

50年前に産声を上げたそれが、色褪せたり、博物と化すことなく、

今もなお、色鮮やかに私たちの暮らしを照らし続けていてくれる。

言葉、想像力、それらが試される時代にあって、

そのことのありがたさをひしひしと感じながら。  

大友良英×中川裕貴×山内弘太 at 京都UrBANGUILD

10月某日。

木屋町三条の京都アヴァンギルドで、

おなじみの大友さんと、京都在住の若手のお2人、

チェロ奏者で舞台音楽や演出などを手掛ける中川裕貴さん、

ギタリストで音楽演出、即興音楽などをされている

山内弘太さんとの共演。

 

本当は春先に公演されるはずが、

コロナの影響で延期になっていたものが

ようやく開催されることになり、行ってまいりました。

 

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公演は、コロナ対策で、検温、消毒はもちろん、

1曲終わるごとに、10分換気タイムが設けられて行われました。

 

のっけから、大友さんのギターノイズが炸裂。

鉛と鉛が激しくぶつかり合い、悲鳴を上げる、

現場を制圧する重低音が腹の底にずしんずしんと直撃し、

稲妻のような轟が脳天に突き刺さる。

これほどの生々しいエネルギーのスパークは、

やっぱり生のライブだからこそ響く。

これぞ生。これぞライブ。

 

そして中川さんも山内さんも、

それぞれに充満したエネルギーを遠慮なく、解き放つ。

3人とも楽器を演奏する、弾くというよりも、

打楽器で鼓舞するといった方が正しいような、

原始的な祝祭の場で繰り広げられていた

音とリズムの宴が、現代的な技法で再現されているような、

だんだんとその勢いは増して、どんどん倒錯していく。

 

どっぷりと音に浸りきった夜でした。

 

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終演後、大友さんにご挨拶。

ちょうど1年前の千駄木のIssheeさんでの、

東京‐サンパウロの二元中継の時(渋谷で全感覚祭と掛け持ちの夜!)以来です。

「あれは、今まででも稀にみる大失敗だったなあ~」と大笑いされてました。

それからコロナ禍のこと、アンサンブルズ東京のこと、

すっかり話し込んでしまいました。

いろいろご相談もできてありがたかったなあ。

 

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御嶽山

10月の頭。

長野県の木曽町・王滝村岐阜県高山市にまたがる

標高3067mの独立峰で百名山御嶽山に登ってきました。

 

御嶽山といえば、2014年9月27日午前11時52分に起こった

噴火を思い起こさざるを得ません。

当時の噴火の規模は自然界においてはごく小規模なものでしたが、

ちっぽけな人間にとっては相当な破壊力を持っていました。

秋晴れのお昼時間というタイミングもあり、

戦後最悪の被害をもたらす火山事故となってしまいました。

目撃者、生還者が撮影したあまりにも生々しい映像の数々を

今なお記憶している方も多いと思います。

本当に不運なことでしたが、

山に登る人間なら決して他人事ではありません。

 

同じ日同じ時間、自分はちょうど、

御岳山のふもと、最寄り(といっても20kmほど離れているが)の

木曽福島駅を特急電車で通過中でした。

その時はまさかそんな大災害が起こっているとは

全く気付かず、知らず、別の山に向かっていました。

まだ当時自分はスマホではなくガラケーで、ネット環境になく、

その晩、扇沢のバスターミナルで野宿中に、

仕事から帰宅した奥さんから心配の電話があって、

初めて事の次第を知りました。

 

噴火以降、山頂付近は進入禁止、通行禁止となっていたのですが、

去年おととしあたりから、時限的に開放されるようになって、

いずれお参りにいかなければと思っていました。

 

今年はコロナ禍の影響で、

多くの山小屋が営業を取りやめたり、

短縮、受け入れ縮小などがあり、

入山できる山域が限られ、その限られたところに、

自粛明けで待ち望んだ登山客が殺到するという状況だったので、

なかなか遠征するのが難しい状況でしたが、

そろそろ山小屋のクローズが間近に迫り、

またあまり天候が望めない、日月であれば、

まだ混雑を避けられるであろうということで慰霊参りへ。

 

初発の新幹線に乗り込み、

名古屋で初発の特急しなのに乗り換え。

そこから木曽福島まで。大阪から約2時間30分で到着です。

しかしここからの路線バスがなかなか大変。

くねくねと山間を抜けること1時間弱。

御岳ロープウェイに到着しました。

 

 

 

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お天気はどうにか雨が降らずに持っているといった感じで曇天。

それにしてもこの山麓駅(標高1570m)まで来ると

さすがに寒い!!

検温等コロナ対応をして、チケットを購入。

ゴンドラに乗り込みます。

 

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ぐんぐん高度を上げていくにつれ、どんどん雲の中へ。

予報通りとはいえ、できるだけ雨はもってほしいところ。

15分ほどで標高2150mの山頂駅に到着。

ここから約900mの標高差を歩きます。

10:00ジャスト山行スタートです。

 

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ロープウェイ駅からは

よく整備されたフラットな道を5分ほど歩くと、

7合目にあたる行場山荘。

ここは小屋の方にご挨拶しながら通過していきます。

それにしても年季の入った風情ある小屋です。

 

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実際の登りはこの小屋の裏口からスタート。

のっけから階段が続きます。

このあたりの森はまだ紅葉には少し早い感じだったが、

所々色づき始めているようです。

 

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なおも会談を上り詰めていると、前が騒がしい。

何事かと思えば、装束を身に纏ったお参りの列でした。

御嶽は古くからの由緒ある山岳信仰の山でもあるのです。

 

この一行以外にも、

土日の休みで登られた登山客が続々下山してきて

頻繁にすれ違うので、マスクを装着しながらの登りで、

なかなか息が上がる。

 

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40分ほどかけて、8合目の女人堂に到着しました。

この先は明治初期まで女人禁制だったため、

女性がここでお参りをすます場所でした。

しばらくの休息。

 

ここで樹林帯を抜け、視界が開けます。

上部の低い木々が点々と色づいている、

さらに上部は岩盤がむきだしの険しい山容。

あの奥まったところがピークになります。

天気は相変わらずですが、少し雲間を抜けたのか、

上部は先ほどよりも明るい。

 

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しばらく休憩ののち、リスタート。

小屋から水平に少し歩き、

たくさんの石碑が立ち並ぶ一帯から、

ハイマツ帯の間にまっすぐ伸びる階段を進みます。

何気にここが急で、腿上げがしんどい。

 

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ハイマツ帯を抜けて、釣り鐘のある、

少し開けたところまでやってきました。

振り返ってみると、先ほどの女人堂が真下にあり、

その先は雲の世界。

そしてここから上部は岩稜地帯となります。

 

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若干、濡れた岩場をえっちらおっちら上ります。

今回は歩く距離もそれほどなので、登山靴ではなく、

機動力に優れたトレランシューズにしたのですが、

軽い分、グリップが弱いので帰りが少し心配になってくる。

(めちゃくちゃ履き古してるというのもありますが)

 

三ノ池方面の山肌が色づいているのを横目に見ながら、

えっほえっほと登っていると、

背後から雨雲と追いかけっこになって、

若干濡れながら急ぎます。

幸い雲は小さな塊みたいで、ミストシャワーのよう。

なんだかんだこのあたりも、

岩場の急斜面なのでしんどいのだけど、

眺望があることもあって、それほど気にならない。

 

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すぐ眼上に見えている小屋の直下が、

まずまずの急こう配で、息が切れますが、

それほど距離もないので、スイっとやっつけ、

9合目の石室山荘に到着。

ここでおトイレを拝借し、

それから少し休憩をと思ったら、

小屋の中はかなりの混雑だったので、あきらめて、

そのまま山頂を目指すことにしました。

 

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混雑する山荘を後にしてもうしばし、

急峻な岩場を登ってくと、

ほどなくして覚明堂にたどり着きます。

ここは山上の分岐点となっていて、

二ノ池、三ノ池方面と山頂・剣ヶ峰へ向かう方面に分かれるが、

もちろん、今回はそちらへ。

 

噴火以降は山頂方面へは

少し前までは完全に立ち入り禁止になっていた。

現在は期間限定で通行可能となっている。

(火口から概ね1km圏内は原則立ち入り禁止区域に指定されている)

 

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分岐を折れて進んでいくと、

右手に大きな泥炭の池が見えてきます。

これが二ノ池。日本最高地点にある湖沼。

その脇に二ノ池小屋が建っています。

 

ちなみに火山湖は一ノ池から五ノ池までがあり、

それはこの山が場所を移しながら、

これだけの大規模な噴火を何度も繰り返してきた証です。

 

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そこからさらに荒廃した世界を、

緩やかに登っていくと前方にお社が見えます。

また周辺には緊急用のシェルターなどがいくつも建ち並び、

そこでたくさんの登山客や工事関係者が休憩していました。

 

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最後に急な石段を登れば、

標高3067mの御嶽山山頂、剣ヶ峰に登頂です。

時刻は12:40。ロープウェイから2時間40分でした。

 

まずはあの日ここで被害に遭われた方々に、

黙とうを捧げました。

 

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山頂からはすぐ真下に広がる一ノ池と、

その奥に二ノ池、

その先に外輪山を形成する摩利支天山に継子岳が見えます。

これほどまでに荒廃した世界で、

人知をはるかに超えた畏れを感じるとともに、

むきだしの自然が見せる、

ある種の美しさをひしひしと感じます。

 

一ノ池は枯れていることが多いようですが、

この日は鈍い鉛色の一面。

そして荒々しい岩礁帯に、雪のようにまぶされた粉塵が、

まるで現世ではなく黄泉の国のごとく。

その一帯に散らばった、砕け散った石の塊たちは、

噴火の際に、飛び散ったものだろう。

こんなものがツブテのように降ってきたら、

ひとたまりもない…

 

目の前に広がる生々しい自然の険しさにただただ圧倒されて、

しばらくの時間呆然としていました。

 

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 少しして我に返り、先へ向かうことにしました。

石段を下りながら下を見ると、

王滝村からのルートがよく見えますが、

こちらは噴火の打撃をもろに受けて 登山道は破壊されてしまい、

通行できない状態が続いています。

工事関係者の皆さんが働いている様子がちらほら見えます。

 

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剣ヶ峰山頂を後にし、

先ほどの分岐地点まで下っていきます。

そしてその分岐を左折して二ノ池方面へ。

少しぽつぽつと雨が降ってきてしまいました。

山上はさすがに気温も下がり、風が出てきたので

体感が相当寒く、末端がみるみる冷えてきました。

 

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二ノ池は鉛色の泥炭と化して音もなく底に沈んでいます。

その際を歩いて、二ノ池山荘に到着。

雨が少し強まってきたので、ここはスルーして先へ。

そこからさらに2,3分のところにある、

二ノ池ヒュッテが本日の宿泊地。

13:25に無事到着です。

 

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少し早いですが、チェックインを済ませます。

余りに寒いので、温かいものを食べたい。

名物の担々麺はあるかと期待したのだが、

もう小屋閉め1週間前ということで、

荷下ろしも済ませてしまっていてありませんでした@@@

その代わりに、ドリンクバーがあったので、

そちらを注文して、ホットココアを2,3倍。

ロビーにはコタツが並んでいたので、そこに体をうずめ、

お昼もまだだったので持参したカルネをいただきつつ、

暖を取ります。

 

それにして10月の頭。

下界はまだまだ暑いですが、

山の上は秋を通り越して冬支度です。

 

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落ち着いたら、お部屋を案内いただきます。

この日はさすがに人も少なく、宿泊者20人程度。

1つの部屋に2人でした。

たまたま同部屋の方は大阪の方で、色々お話しできました。

 

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1時間ほど休憩をして、寒さもしのぎました。

晩御飯の時間までは何もすることがないし、

アタックザックに必要最低限を詰めて、散歩に出かけます。

小屋の方にちょっと出かけてきますと声をかけて、

さらに先を目指します。

 

雨はどうにか小康状態ですが、風が少しあります。

小屋から少し下っていくと、サイノ河原と呼ばれる、

広い場所に出ます。

この辺りはおびただしい数の小さなケルンが建てられて、

まるで寺山修司の世界か、黒澤明の『夢』に迷い込んだかのような

現世と黄泉のあわい。

 

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サイノ河原の先は登りになっていて、

外輪山を形成している摩利支天山に取り付きます。

ジグザグと登って、ヒダ山頂に到着。

ここで道は2手に。

一つは尾根を伝って摩利支天山へ向かうか、

この先を急下りして三ノ池・五ノ池方面目向かうか。

時間が時間なだけに、両方は難しい。

ちょうどこの辺りは雲がぽっかりと覆っていて、

せっかく摩利支天山へ向かっても眺望は望めなさそうだったので、

ひとまずは、話題の山小屋・五の池小屋を見学に行くことにします。

 

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ヒダ山頂をずんずんと飛騨側へ下っていきます。

こちら側は比較的雲が晴れていて、

眼下に濁河温泉方面の高原が見えています。

そこから目線をあげていくと、ちょうど真下に、

五の池小屋が建っており、

その横にあるはずの三ノ池は雲の中。

 

その奥になだらかに広がるのが大外の外輪山・継子岳。

あの穏やかに歩きやすそうな山を見ると、

どうしても欲が出て、

あそこまで行けるかなと思わず考えてしまいました。

行くはよいよい、行った分帰りがあるわけで、

あそこまで下るとなれば帰りは登りだし、

余り遅くなって小屋の人に心配をかけるわけにもいかないし…

時計とにらめっこをして、

何時何分までにたどり着けるところまでと決めて、

ひとまず一番遠いところを目指すことにしました。

(結局いつもの欲張り)

となれば、グズグズしている間はありません。

荷物も軽くなっているし、せっかくのトレランシューズですから、

軽くランをしながら下っていきます。

 

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ずんずん下っていくと、

右手に三ノ池が見えてきました。

晴れていればきっとエメラルドに輝くのであろう、

美しい湖面です。

 

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なおも下っていくと、前方に五の池小屋が現れます。

ここは今最も注目を浴びている山小屋の一つで、

雲上の薪ストーブカフェ「ぱんだ屋」で提供される

手作りシフォンケーキやピザなどの絶品料理の数々や、

優雅な山岳リゾートのようなテラス席が設けられたり、

”映える”山小屋として人気で、

ここに宿泊する目的で登ってくる人も多いとか。

今回ここを視察するのも目的だったのですが、

それよりも先へ急ぐことにしたので、

なくなくスルーします。

 

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時刻は15:12。

天気はもうこれは降らないだろうし、

日没もまだ先なので大丈夫。 

だが小屋の方に心配をかけてもいけないから

いくら遅くても16:30には戻らないといけない。

ここまでの道のりの登り返しを考えれば、

15:30までに継子岳にたどり着けるか。

たどり着けなくても時間になればその時点で戻る。

先を急ぎます。

 

小屋の少し裏手から延びるトレイルへ取りつきます。

少し岩場のような場所を抜けていきますが、

危ない場所ではなく、

またなだらかで歩きやすい道が続きます。

とりあえず写真は復路に撮るとして、今はとにかく先へ。

小走り気味に歩いて、どうにか15:25に継子岳にとうちゃこ!!

 

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あまり時間の猶予はないけど、

少しだけ滞在して写真を撮る。

継子岳の辺りはなだらかながら、

意外とガレガレでした。

 

北側に広がる開田高原、そして高山の高根の山間。

さすがにこの天候なので、乗鞍や北アルプスまでは見えず。

それでもこの景色を独り占めできたので大満足。

 

振り返れば、御嶽山が静かに威風堂々と鎮座している。

その猛々しい姿に思わず見とれてしまうが、

グズグズはしていられない。

今からあそこに戻らねばならないのだから。

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五ノ池まではなだらかなので、

時間を稼げる区間はとにかく急ぎます。

取って返して五ノ池小屋まで帰ってきました。

ここで地図を確認すると、来た道とは別にもう1つルートがある。

三ノ池の方へ少し下って、

避難小屋のある中腹へとトラバースする道。

ヒダ山頂まで登り返すよりも、そちらの方が標高差が少なく、

また若干距離も短縮できるので、そちらへ。

左手に三ノ池を望みながら、ずんずん山の脇腹をなぞっていく。

最後のところはガレガレの急登が少しあり、

滑りやすいので慎重に。

そうして無事に避難小屋まで来ました。

もう二ノ池ヒュッテはサイノ河原の向かい。

目論見通り、小屋に帰着がジャスト16:30でした。

でも小屋の人はなかなか帰ってこないから

心配されてたようで申し訳ない@@

 

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小屋に戻り、とりあえず荷物を整理して、寝床も設置。

今年は、コロナの影響で、布団は支給されますが、

その上に、持参したシュラフを敷き、枕も持参したタオルを巻いて

感染予防が必要でした。

 

それでも晩御飯まではまだ1時間30分もあるので、

ロビーのおこたで暖を取ります。

すると温かさと疲労と寝不足でついZZZ…。

 

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夢うつつでくつろいでいると、

そろそろ夕食の時間となりました。

この日は、小屋締め目前ということもあり、カレーです。

もちろん、おかわりもしました。

ご馳走様です。

 

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食事を済ませて、あとは消灯まで、

引き続きロビーでまったり。

するとどうも外の様子が悪い。

びゅうびゅう、どうどうと風が強くなって小屋全体を揺らす。

時折トップが吹く音が、ぼおんぼおんと鳴るのだが、

場所が場所だけに噴火したんじゃないかとビクビクしてしまう。

実際、この二ノ池ヒュッテも天井に1か所、

噴石がぶち破った大穴があるのだそう。

消灯後も、風は強まり、雨も降ってきたよう。

予報通りとはいえ翌日は天気は望めなさそうです。

 

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翌朝。

起床して外を見ると、

やはり雨が降っており、風も引き続き強いようです。

本当は昨日行けなかった摩利支天山

通過しただけの五ノ池小屋へ行ってから

帰路に着こうかと思いましたが、

これはおとなしく下山することにしました。

雨はともかくも風がそこそこあるのが難儀ですが、

独立峰なので、おそらく山上だけがこれだけ風が強く、

高度を下げれば大丈夫だろう。

特に石室山荘直下の岩場は雨で滑るし、足元が不安なので

そこだけ注意すれば、

女人堂の手前からはハイマツ帯なので、

そこまでの我慢になるだろう。

 

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5:30になり、朝ご飯。

しっかりとお代わりをして準備万端です。

 

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もう少し待てば天候はましになるかもだったが、

どうせ下山オンリーであれば、

さっさと降りて、さっさと帰宅したいので、

7:00には発つことにしました。

 

外に出ると、ガスガス。風も強いが、

昨晩心配したほどではなく一安心。

それでもここは標高3000mの世界、油断禁物です。

 

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いざ出発。

ほかの宿泊者の多くは天候が回復するまで待機される方がほとんどで

他には誰もいません。

雨のつぶてが横殴りで吹き付けてきます。

それに抗いながら二ノ池を過ぎます。

もう一度山頂に寄ろうかどうか迷いましたが、

体がみるみる冷えるし、また訪れるので、おとなしく下山。

吹き付ける水滴で、メガネが真っ白に曇って、

全然前が見えないので、メガネを外して進むことにしますが、

視力0.1の世界は、おぼろげで、

雨で濡れる足元の岩場もぼんやりしかわからない。

いつもの遠征用の登山靴ではなく、

ペラペラのトレランシューズということもあり、

慎重に歩きます。

石室山荘のところで、

昨晩同室だった方に追いつかれご挨拶。

 

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石室山荘を過ぎて、

注意すべき急下りの岩場に向かいます。

やはり思惑通り、

山上から少し降りるだけで風が一気に収まりました。

でも足元が濡れているのは変わりないので、慎重に進みます。

 

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アンカ・カヴァンの描くガスガスの白い世界のような中を

焦らず自重してゆっくりゆっくり降りて、

どうにか釣り鐘のところまで下ってきました。

ここまで来れば、あとはハイマツ帯を経て女人堂、

その先は森に入るので雨も風もへっちゃら。

安全地帯に到達して一安心。

 

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荒天の時ほど、ハイマツのありがたさが身に沁みますが、

本当にこんなわずかの風よけ雨よけが抜群に効果を発揮します。

どんどこ下っていくと、徐々に雲も晴れてきました。

二ノ池ヒュッテを出発して1時間で無事女人堂まで下りてきました。

 

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女人堂で少し休憩をしていると、

徐々に天気が良くなってきました。

予定よりも早く降りてきましたが、バスの時間は決まっているので

持て余してしまうので、少しだけ寄り道します。

 

女人堂からは、メインルートのほかに、

直接三ノ池方面へ続くトラバースルートがあるのですが、

途中、台風の影響などで道が崩落してしまっているらしく

通行止めになっています。

ただ、そこまでは紅葉を見るために進んでもOKと書いてあったので

少しだけそちらへ行ってみることにします。

 

所々ぬかるんや道を少しだけ登り返してみますが、

紅葉もまだ一歩手前で、

天候もまたまた雲が湧いてきて、

山上を隠してしまいうまくいかない。

雨で濡れた体も冷える一方なので、

もうすっかりあきらめて戻ります。

 

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女人堂でもしばらく待ってみましたが、

やはりすっきりしない。

元々、悪天を狙って来たので、

これはこれで予定通り。

時間調整も済んだので、引き続き下山します。

 

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どしどしと森を下っていくと、

かなりの数の登山客が登ってきて何度もすれ違います。

3000m峰とはいえ、難所も少なく、

手軽に登れる山の人気ぶりがうかがえます。

とっとこ降りて、9:20にはロープウェイ駅に到着。

これにて山行終了!!お疲れ様です。

 

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10時までにはふもとにおりましたが、

バスの時刻は11:45とまだかなり時間が余ってしまった。

とりあえず濡れて不快な衣類を着替えたり、荷物の整理。

寒いので食堂で味噌ラーメンを食べたり、みやげ屋をのぞいたり。

 

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ようやくバスが来て乗車。

この便は、木曽福島駅へはまっすぐに行かずに、

わざわざ開田高原へ大きく寄り道するので、

1時間20分もバスの旅。

そうして13時過ぎに駅に到着しました。

ここまで下りてくると、

さっきまで寒さに震えていたのがウソのように

ぽかぽか陽気。

 

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ちょうど、20分後くらいに名古屋行の特急しなの号があり、

スムーズに名古屋を経由して帰宅。

 

これにて、2020年の山行遠征は終了。

もう今年は近場の山以外はいけないと覚悟していましたが、

唐松岳御嶽山の2つに登ることができました。

来年はもっといける世の中になっていたらいいのだけどなあ。

 

<山行記録(1日目): 6時間30分>

10:00飯森高原駅⇒10:08黒沢口七合目・行場山荘⇒

10:50黒沢口八合目・女人堂⇒11:00⇒12:00石室山荘12:10⇒

12:40御嶽山12:50⇒13:15二ノ池山荘⇒

13:25二の池ヒュッテ14:20⇒14:30賽ノ河原⇒

14:50摩利支天乗越⇒15:12五の池小屋⇒15:25継子岳15:30⇒

15:45巻道の三ノ池分岐⇒16:10三ノ池乗越分岐⇒16:20賽ノ河原⇒

16:30二の池ヒュッテ泊


<山行記録(2日目): 2時間20分>
07:00二の池ヒュッテ⇒07:25石室山荘⇒

08:00黒沢口八合目・女人堂08:45⇒09:15黒沢口七合目・行場山荘⇒

09:20飯森高原駅G

 

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幻の五新線を往く

9月某日。

奈良は五条にある産業遺産、五新線を歩いてきました。

 

五新線とは、奈良の五条から、大塔、十津川、本宮とつなぎ、

和歌山の新宮まで、紀伊山地のど真ん中を貫いて鉄道を通すという、

戦前に計画された幻の鉄道路線

先行して敷設された五条~城戸(旧西吉野村)の区間が、

バス専用道として開通したが、途中で鉄道敷設計画自体が頓挫し、

その後2014年に路線バスも運行終了。

鉄道路線として計画されながら、

戦争激化、林業の衰退など、時代に翻弄され、

ついにただの一度も鉄道が走ることのなかった幻の廃線跡である。

(バス専用道としての運用のため、枕木やレールすら敷設されなかった)

 

ちなみに、その幻の道とともに住まう人たちの暮らしぶりを描いたのが、

奈良出身の河瀨直美監督の『萌の朱雀』という映画(1997年)で、

(当時史上最年少でカンヌ映画祭のカメラドール賞受賞)

撮影当初のロケハンで、地元の中学校でヒロインにスカウトされたのが

今や日本を代表する女優となった尾野真千子さん。

 

余談だが、奥さんと初めて小旅行をしたのが、この西吉野で

他に誰も乗客がいない古めかしいボンネットバスに乗って、

ガタゴトと、細い細いバス専用道を走ったことは懐かしい思い出。

その後も何度かバスには乗ったことがある。

 

この旧・バス専用道は、2016年、

「旧国鉄五新線(未成線)鉄道構造物群」として

土木学会選奨土木遺産に選定され、五条市によって管理され、

普段は入ることができないのだが、

定期的にウォーキングツアーが開催されていて、

今回はそちらに参加しました。

(一部、最長の生子トンネルだけ内部の安全が確保できないということで、

ルート迂回になりました。いずれここも整備が済めば歩けるようになる予定だそう。)

 
集合は朝9時に五条駅ということで、

南海高野線橋本駅~JR和歌山線でアクセス。

専用の送迎バスに乗り、まずは概要をレクチャー。

合わせて地図と通行許可証をいただきます。

途中数か所にチェックポイントが設けられていて、

そこで許可証にスタンプを押してもらう仕組みです。

 

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まずはスタート地点となる、

旧城戸バス停までバスにて移動です。

R168を山奥へと入っていきます。

 

10:15、旧・城戸バス停に到着。

ここから参加者は各々のペースでウォーキングをスタートして、

約12km先の五条市内にある観光交流センターを目指します。

 

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まずこの旧・城戸バス停はかつての路線バスの終点で

広々としたロータリーがあります。

実は幻の計画線は、さらにこの先の阪本を目指して、

トンネルが掘られ、そのトンネルが川の向こうにぽっかり開いているたのだが、 

その最中に、地元が推進派と反対派の真っ二つに割れ、

また国鉄だけでなく他の鉄道会社も独自案を提案してさらに混乱。

そうこうしているうちに、時代はモータリゼーション主流となり、

また地元の主産業である林業の衰退、そして人口減少のあおりで

採算が見込めなくなり、ついぞ鉄道が走ることがなくなってしまいました。

 

さて、いよいよウォーキングスタートです。

本来鉄道用に敷設された道路なので、

極めてフラットで、高低差も少なく、カーブも滑らかです。

しかしすでに使用されなくなって久しく、

周りの緑が幅を利かせ、また苔むす場所も多々。

 

それにしてもこの日はお天気がすこぶるよく、

気温もぐんぐんと上がって、かなり暑かったなあ。

 

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途中途中には、旧バス停だったトタン小屋や、

枕木を用いた柵などもそのまま残されています。

この道は本来鉄道路線で、バス専用道ということで、

一般の車両が誤って侵入できないよう、

できるだけ一般道とは交差しないようになっています。

一般道と交差する部分は踏切のようになっています。

 

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あれこれ撮影をしながら、行ったり来たりしたり、

人が映り込まないようにタイミングを待ったりしているうちに

すっかり最後尾になってしまいました。

常覚寺の集落を抜けると、

1つ目のトンネル(黒渕トンネル)が見えてきました。

最初のチェックポイントです。

トンネルの中はひんやりとしていて、

とても心地よいそよ風が吹いている。

 

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トンネルを抜けると、

この専用道と寄り添うようにしながら吉野川まで続く

丹生川にかかる橋を渡ります。(第8丹生川橋梁)

この丹生川は谷筋に沿って何度も蛇行しながら流れているので

山腹を貫いて、できるだけ直線的に敷かれた専用道と、

何度も交差することになります。

 

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橋を渡ると、衣笠トンネルがぽっかり口をのぞかせている。

ここはそこそこ長く、また向こう側が軽くカーブしているため、

真っ暗闇が楽しめます。

中は当然、電灯などはなく、

自前の懐中電灯で照らして歩くのが一般ですが、

せっかくの闇を楽しむため、無灯で。

 

単線鉄道が通れるだけの狭い狭いトンネルですが、

工事が行われた昭和初期の土木技術を考えるとなかなかのもの。

ただ、ここを路線バスが通っていたときは、

本当に車幅ギリギリしかないので、直線とはいえ、

運転はなかなか大変だったと思います。

 

トンネル内は静かでひんやりとしている。

真っ暗ではあるけど、例えば線路の砂利や枕木が残っている

武田尾の廃線跡とは違いフラットな路面なので、

足元も心配がない。

参加者もすっかり先行していってしまい、

暗闇を独占して楽しむ。

さすがに三脚までは持ってきていないので、

撮影はなかなか限界がある。

 

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無事に反対側に抜け出てきました。普段は御覧の通り、

しっかりと施錠されて侵入できないようになっています。

 

反対側に抜けると、眼下の丹生川に橋がかけられ、

たくさんの車が行き来しています。あれが国道168号です。

そのちょうど真上に、大きなバス停の跡(黒渕)が残っています。

もはや誰も訪れなくなって等しいこのバス停ですが、

まるで、まだバスの乗客を待っているかのようでした。

 

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黒渕を過ぎると、次は大日川トンネルが待ち受けます。

ここは直線で、向こう側の出口の光が小さく見えています。

それはまるでアニメ映画『銀河鉄道の夜』の

一番冒頭に暗闇から現れる白い丸のようです。

コツコツと靴音を響かせながら、その光に向かって、

暗闇の中を歩いていくと、

まっすぐ歩いているようでなぜだか平衡感覚が失われます。

この不思議な感覚が心地よく、

ゆっくりと楽しみました。

 

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トンネルを抜けると、

丹生川とR168をまたぐ第7丹生川橋梁。

ここは独立した専用道だとよくわかりますね。

道はその先の小さな集落に向かって進みます。 

 

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ちょうど丹生川が大きく蛇行する付け根の辺りを

ゆったりと右へカーブする頂点あたりに、

少し広まってバス停跡らしきものがあります。

そのすぐ先には陸橋。

専用道を俯瞰で観れる場所が他にないので、

ちょっと登ってみる。

 

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カーブの先はまっすぐな道がミカン畑の間を貫いています。

道端にはバス専用道の案内板が打ち捨てられていました。

五条側から道を見てみると、

いよいよここから紀伊山地の深い山に切り込んでいくのだというのが

よくわかります。

それにしても、険しく長い紀伊山地を貫いてしまおうというのは

かなり壮大なプロジェクトで、

現代でもなかなかの難工事だと思いますが、

戦前の土木技術を考えるとほとんど無謀とも思えます。

しかし、実際、現代でも枯木灘紀伊半島の東側)のエリアは、

今もって、どこからアクセスしても果てしない陸の孤島で、

関西から最短距離で繋がるこの五新線は

まさに悲願の夢のプロジェクトだったはずです。

 

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小さな橋を渡ると、

山間のわずかな平地にへばりつくような小さな集落を行きます。

その先で初めて一般道と交差するポイントにぶつかる。

踏切のように施されていますが、

元々が鉄道路線として計画されており、

また路線バスの専用道路として運用されていたことがわかりますね。


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小さなトンネル(屋那瀬トンネル)があり、

その手前で2つ目のチェックポイント。

トンネルを抜けると、いったん専用道を外れます。

案内に従って沈下橋へ。

 

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沈下橋を渡り、R168の向かいにある

賀名生の旧小学校の体育館にてお昼休憩です。

暑さが半端なく、参加者のみなさんも少しバテ気味な感じ。

水分補給、塩分補給もしっかりしないといけません。

(ちなみに体育館は冷房はついていないので、なかなか…)

 

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この五新線ウォーク用のお弁当が支給されます。

地元の名物もふんだんに、おかずも種類が多く、

大満足の献立になっています。

 

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そして、お弁当を食べながら、

ゲストである”ひげの梶さん”こと、

歴史探訪家の梶本晃司さんによる

五新線の歴史レクチャーを聴くことができます。

出発は各々自由に、食べ終わった人から。

ここでようやく最後尾を脱して、出発します。

 

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再び、離脱したポイントである

旧・賀名生(かなう)バス停へ戻り、

そこから専用道ウォークをリスタート。

 

そういえばこの「賀名生(かなう/あなう)」の集落は

南朝の首都だった場所でもあります。

建武の新政の後、足利尊氏に追われ京都を脱出した後醍醐天皇

吉野に赴く際に立ち寄った場所で、

元々は「穴生(あなう)」という地名だったが、

南朝後村上天皇が行宮を吉野山からこの地に移された際に、

南朝による統一を願い、「叶名生(かなう)」と改名、

しかし天皇から頂いた文字をそのまま使うのは畏れ多いということから、

「賀名生(かなう/あなう)」としたそうです。

しかし、こんな山深い、わずかの土地が、ほんの一時とはいえ、

日本の首都だったというのは驚きです。

南朝の拠点地だった、川上村などはもっと山奥だし…)

 

さて、すぐに第6丹生川橋梁を渡ります。丹生川の流れはきれい。

橋を渡るとすぐに親房トンネルへ吸い込まれます。

 

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トンネルを抜けると目の前に大きな橋が目に飛び込んできます。

賀名生大橋です。この辺りでは一番立派な橋かもしれません。

それに比べて、なんとものんびりとこじんまりとした

バス専用道はひっそりと橋をくぐります。

 

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箸をくぐった先にも小さなバス停。

そして踏切跡があります。

その先でまたもや丹生川を渡ると(第3丹生川橋梁)、

その先にぽっかりと生子トンネルが待ち構えているのですが、

ここはまだ整備が済んでおらず、構内の安全が確保できないため、

今回のウォーキングでは通過せず、

ここから丹生川沿いの集落へ迂回します。

(いずれは完全踏破できるようにしていくそうです)

 

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専用道を逸れ、集落に沿って歩いていきます。

一度丹生川を渡り、

ぐるりと川の蛇行に沿って大きく迂回していきます。

途中の集落にある西光寺というところでチェックポイント。

お昼を過ぎてさらに気温が上がり、

参加者の皆さんもかなりバテバテのご様子。

自分は休憩は取らず、

ハンコだけ押してもらってすぐにリスタート。

 

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チェックポイントを過ぎると、

しばらく先のところで急坂を登って

一度R168に出ます。

交通量が多い上、歩道は緑が生い茂って歩きづらく、

思わぬ難所。

しばらく国道を進むと、真下に、

先ほど迂スルーした生子トンネルの反対側の出口の真上に出ます。

専用道はその先へずっと続いていますが、

まずはトンネルの入り口へ行ってみます。

 

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ここまで来ると随分周辺も開けてきて、山間を脱し、

五条市街へ向かって、まっすぐな道が伸びています。

それでもまだゴールまでは遠い道のり。

 

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暑さに耐えながら歩いていると、

前方に、学生グループの参加者が先行している。

このシチュエーション、何かで観たことがあるなあと思ったら

まるで映画『スタンド・バイ・ミー』。

ああ、青春。ああ、ノスタルジー

 

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専用道、あとは地図を見てもわかる通り、

市街地へ向かって、ほぼ一直線、フラットに敷かれています。

正面には、大阪/奈良・和歌山の県境を形成する

金剛山系の山並みが見えてきました。

 

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深い山間はすっかりと抜け、

いつのまにか丹生川も逸れて、

広々とした田畑や住宅の間を縫っていくようになります。

この辺りでは専用道も一般道と何度も交差します。

(実際には地元の人が往来するのは黙認されていたようです)

 

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さて、専用道もいよいよフィナーレです。

陸橋のアーチをまたぐと、

その先R168と合流しておしまいとなります。

 

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専用道を無事に完歩しましたが、

予想上のお天気で、暑さでバテバテ。

すぐ先にあるコンビニに駆け込み、トイレ顔をバシャバシャ洗い、

冷たいドリンクとアイスクリームで小休止。

そういえばこのコンビニ、関西ブルベではおなじみのチェックポイントで

何度もお世話になっております。

 

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そこからさらに少し歩いて、観光交流センターに無事到着し

本当のゴールです。お疲れ様でした。

みな、予想以上の暑さに苦戦して、ヘトヘトのようでした。

 

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ツアー自体はここで終了。

現地解散になりますが、

JR五条駅まではまだまだ歩かねばなりません。

そしてせっかくならば、

実はまだまだ続いている五新線の遺構を見たり、

重伝建地区に選定されている新町通りを歩きましょう。

 

まずは大きな吉野川を渡り、堤防沿いに歩いていきます。

この日歩いてきた方面を見てみます。

すっかり山の中です。

 

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少し歩いて、いまだ町中に残存している

五新線の高架橋にたどり着きました。

吉野川にぶつかり、ぷつんと途切れた高架橋が、

大河の向こうの山並みに向かって、

虚しく天を刺す様は、栄枯盛衰を物語って余りあります。

この高架橋はまるで、もう自分が鉄道路線のために設けられたという

出生を忘れてしまったかのように、すっかり町中に溶け込んで、

ただ静かにそこに座しているようでした。

 

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高架橋はその先ももう少しだけ続いており、

R24のところで、ぷっつりと切られています。

高架橋はその先の雑木林の中でおしまいとなり、

そこからは一般の道路となっていますが、

その緩やかなカーブの具合や道幅から、

ここもJR五条駅へと接続するための線路の跡地とわかります。

ということで、いよいよ幻の五新線ウォークも

これで正真正銘終了です。

 

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せっかくなので少し戻って、

重伝建地区である新町通りも軽く散策。

五条は、東へ向かう伊勢街道、西へ向かう紀州街道

北へは奈良へと向かう下街道、

あるいは金剛山を越えて河内へ抜ける河内街道と、

幾つものメイン道が集まる交通の要所。

また、狭く急流である吉野川が、この開けた五条の地から、

穏やかな大河へと姿を変えることから、

上流から運ばれた吉野杉などの木材を、

大型の船に積み替える水運の要所でもあり、

江戸時代に栄えました。

その頃の名残を今なお留め、当時の豪商の商家が残っています。

 

この日はコロナの影響か空いているところも少なかったり、

人もまばらでした。

ひそかにお目当てに楽しみにしていた「一ツ橋商餅」さん、

数年前にひっそりと引退されているのを知らず、残念。

 

お店の軒先などには先に紹介した

地元スター・尾野真千子さんの五条PRのポスターが

いくつも貼ってありました。

 

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この後そのままJR五条駅まで歩いていき、

予定していた電車に無事乗り込みました。

あと、この1時間後に、特別警報が出るほど相当な夕立が襲ったようで、

間一髪脱出できました。

 

ということで、幻の五新線ウォーク。

思い入れのある産業遺産を存分に満喫できました。

いくつかのツアー会社さんで、

年数回ウォーキング企画があるようなので、

興味がある方はぜひどうぞ。

(今回はローソントラベルさんの企画に参加しました)

 

<ウォーキング記録:4時間45分>

10:15旧・城戸バス停⇒10:25常覚寺橋梁⇒10:30黒渕トンネル10:34⇒

10:35第8丹生川橋梁⇒10:38衣笠トンネル10:48⇒10:55大日川トンネル11:09⇒

11:10第7丹生川橋梁⇒11:28屋那瀬トンネル⇒11:30沈下橋

11:31賀名生の旧小学校体育館(お昼休憩)11:57⇒

12:00第6丹生川橋梁⇒12:04親房トンネル12:06⇒

12:07第5丹生川橋梁⇒12:10第4丹生川橋梁(賀名生大橋)⇒

12:19第3丹生川橋梁⇒12:20第2丹生川橋梁⇒

12:35西光寺⇒12:53生子トンネル⇒13:06西吉野第二発電所

13:35バス専用道出入口⇒13:47観光交流センター14:02⇒

14:17大川橋⇒14:21五新線高架跡14:25⇒

14:26新町通り(重伝建地区)14:32⇒14:45国道24号との交差地点14:50⇒

15:00JR五条駅G

 

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鳥取民芸の窯元に器を求めてライド 約250km

9月某日のはなし。

 

昔から、器や民芸品についても興味があったのだが、

コロナ禍で、自宅での暮らしが中心となり、

また我が家の食事を受け持つようになって、

それらのありがたみが一層よくわかってきた。

 

例えば、同じ料理を食べるにしても、

良い器に盛りつけるだけで、

なんだかご馳走をいただくような気分になったり、

一輪の花が器にさりげなく飾られているだけで、

部屋の雰囲気が一変したり。

 

つまり、暮らしの中から生まれ、育まれてきた、

上質のデザインがいかに暮らしを豊かにするか、

生活に彩りや心のゆとりを与えてくれるか、ということ。

 

つい先日、とある料理屋さんで、

ハッとするほど美しい器に料理が盛られて出されてきて、

全く惚れこんでしまった。

正確には、前からその器のことは知っていたのだが、

改めて目の前に突然現れて、それを思い出したのだ。

鳥取の窯元で焼かれたその器を眺めながら、

ああこんな器で毎日食事ができたら、きっといいだろうなと、

あれを乗っけてみたり、これを組み合わせてみたりと、

妄想が止まらなくなり、そうなるともう、

これはどうしても手に入れなければ気が済まなくなってしまった。

とはいえ、通販やネットでポチっとするのでは味気ないし、

どうせなら窯元で直接手に取って、手に入れたい。

 

コロナの状況もあるし、

GoToで人の流れがまたどっと増えている時期だったし、

密を裂けて鳥取まで行くにはどうすればよいか、

それに窯元は最寄駅からかなりの山間の集落にあり、

駅からの足がなかなかない。

どうしたものかと思案したが、こういう時こそ、

地足を見せる番ではないか。

 

ということで、久々にロングライドを敢行することにしました。

結局は片道ライドになりましたが、当初は往復で考えていたので

日帰りで帰宅するために、日付が変わると同時に出発となりました。

はやめに仮眠を取ろうとしたけど、全然寝れないま0:30出発。

 

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まずは淀川左岸を下って、R43まで向かうが、

新たに設置される高速道路の工事が何か所もあって、

迂回しながら、新伝法大橋まで。

そこからは基本R43で神戸まで行きます。

昼間は交通量が多いから、

一本海側の裏ルートと合わせてを使うのが常だけど

深夜帯は交通量も少ないし、路面状況もクリアだし、

信号も少なく、ハイスピードを維持して巡行しやすいので

神戸行きはR43に限る。

メリケンパーク着が2:00少し前。

 

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そのままR2に乗り、

ほとんど交通量のない大通りをかっ飛ばす。

明石海峡大橋2:40。

夜釣り客が予想以上に多かった。

明石に3:00。

自宅から2.5hだからまあ悪くないペース。

真夜中はどうせ、景色も見れないし、

ひたすらペースを稼ぐに限る。

 

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和坂を上って、西明石でR250に。

ここもただっ広い大通りを独り占め状態で、

快調にペースを刻む。

ここまで全然休憩を取らずに来て、そろそろガス欠。

腹が鳴るので、別府手前の吉牛にイン。

 

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リスタートしてしばらくして、加古川を渡る。

高砂西で、R250は浜側へ折れてしまうので、

曽根からは裏道へ。

ひめじ別所でR2に復帰し、そのまま進んで市川橋を渡り、

姫路市内へ。そろそろ空が明るくなってきた。

姫路城着が5:30。ここまでで約100km。

 

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姫路市街地内はR2が東向き一方通行なので、

そのまま直進できないので一本下った道を進む。

今宿東で合流し、夢前橋を渡ってR2とはさようなら。

県道724号(因幡街道)で菅生川を右手に観ながら

北上に転じる。

ちょうど往路行程の半分となるポイントにある

長池東のローソンで再び朝ごはんタイム。

 

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リスタートしてすぐに山陽道をくぐり、

下伊勢ランプからR29に入る。

ここからは意外と交通量がある。

最終的には結局R29で鳥取入りするのだが、

登り回避のため、追分で左折し県道724号に入り、

まずは西進。

觜崎橋で揖保川を渡る。

船渡で右折してR179へ。

新宮三差路を直進し県道26号に入り、

ほどなくして姫新線をまたぐ。

 

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しばらくは真横に揖保川を伴っての北上。

空はいいお天気で、少し肌寒いくらいが気持ちよい。

意外と交通量があるが、

そこま神経質になるほどでもなく。

じきに宍粟(しそう)市に入る。

(余談だが、このすぐお隣の神河町が、のんちゃんの生まれ故郷)

山崎インターでR29に合流&中国道をくぐり、

今宿北のファミマで小休止。時刻は7:30。

久々ロングなので、そろそろ腰が痛い。

そしてそろそろ眠たくなる時間帯、ZZZ…。

 

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リスタート後は引き続き、揖保川沿いを遡上していきます。

この辺りから交通量が減るのを期待してたのだけど、

早朝練習の部活関連の送迎の車やら、

早立ちのバイカー集団、トラックもそこそこ往来があり、

トラフィックが忙しい。

道は基本的に登り基調だが、あまり感覚がないほど、

この辺りは緩め。安積橋で左折し、揖保川を離れ、

支流の引原川沿いに向かう。

いよいよ若桜街道に入りました。

 

そして少し行った先の道の駅みなみ波賀で小休止。

とにかく喉が渇く。

 

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9:00ジャストにリスタート。

しばらくはダラダラとした道だが、

道の駅はがを越えたくらいから、

少しずつ斜度が上がってくる。

えっちらおっちら上って引原ダム。

そのまま音引湖をなぞるようにして、進んでいきます。

 

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ダム湖を過ぎると再び斜度を上げていく。

ドライブインみやなかの先に、まず1つ目のトンネル。

登り基調だが、後続のバイクが嫌なので、スパートをかけて

手早く抜ける。ゼエゼエ。

その先、ハチ北へ抜ける県道48号との合流点を通過すると、

ダラダラ、クネクネと鈍い登りを詰めて、

ようやく新戸倉トンネルに到着。時刻は10:30。

ここまでが関西エリア、

これを抜ければ中国地方、山陰エリアという境界になる。

そして本日のチマコッピ、標高731mです。

 

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約1700mと長い長いトンネルは、

兵庫側から入ってすぐに下り基調になる。

後ろから車やバイクが続々来るので、

できるだけ手早くクリアしたいが、

ダウンヒルで焦っては余計に危険なので、

慎重にも慎重を期して丁寧に。

無事にトンネルを抜けると、鳥取県そして若桜町の看板。

おひさしぶりの鳥取

 

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トンネルを抜けると、若桜の町までの5,6kmほどは

ほぼほぼ下り。ぐんぐん加速して下っていきますが、

序盤はテクニカルなクネクネが連続するので、注意が必要。

ずっと前傾でブレーキを握りっぱなので、腕が疲れる!!

そして11時を少し過ぎたくらいで若桜鉄道若桜駅に到着。

ここでしばしの休憩。

 

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11:30にリスタート。

ハイライトの戸倉峠を無事に越え、

鳥取県に入ったということで、ちょっと油断しがちだが、

鳥取市街&砂丘までは、実はまだ30~40km近くある。

(今回の目的地の窯元は、そことはまたちょっと離れた場所にある。)

引き続きR29で西進するが、

ところどころ轍がひどくて走りづらい。

群家の手前で左折し、八東川沿いの県道324号に入る。

ただこの道、そのまま進むとトンネルに突入してしまうので

船久橋で県道32号にスイッチ。

しばらく西進すると、

正面右手に河原城(丸山城)の模擬天守が見えてきました。

 

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鳥取道をまたいで、千代川を渡って、

県道195号に左折。

千代川沿いに南下してそのまま道なりに県道196号を進む。

しばらく進んで中井という集落にやってきました。

時刻は12:30。ジャスト12時間で目的地に到着しました。

 

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集落に入ってすぐのところに、

登り窯が見えていて、

そこが今回の目的地、因州・中井窯です。

 

1945年に初代・坂本俊郎がこの地に登り窯を築窯し、

のちに鳥取生まれの民芸運動家・吉田璋也氏の導きで、

新作民芸に携わることに。

現在は三代目・中井章さんが作陶され、

工業デザイナー柳宗理ディレクション作品や

BEAMSとのコラボなどで注目を浴びている窯元です。

同じ中井集落にある牛ノ戸焼から受け継がれた

緑・黒・白の釉薬を使って染め分けられた

モダンで大胆なデザインが美しい器の数々は、目を見張ります。

 

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ここは作業場の横にギャラリーが設けられていて、

そこで実際に器を手に取ってみることができ、

購入することができます。

早速中に入ると、それはそれは美しい世界。

思わず、わあと声を上げてしまいました。

サイズやものによってはお値段の張るものもありますが、

元々が、豪華絢爛で高価な器ではなく、

暮らしの中で使われる民藝のものということもあり、

比較的求めやすいものがたくさんあります。

とはいっても、あれもこれもというわけにもいかないので、

1つ1つ手に取って、わが家の食卓を想像しながら、

日常的に使えるサイズや形のものを吟味します。

 

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色々と悩みに悩みぬいて、

青黒のものと、青黒白の3色の大皿の2枚にしました。

ああ、これは・・・いいものだ。

実際にはこれは見本で、

これから注文に応じて焼いていただくのですが、

人気で殺到しているため、数か月後にわが家に届くことになっています。

今からすでに待ち遠しい。

 

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よい買い物をして、せっかくなので、

同じ集落にある牛ノ戸焼き窯元にも少しだけ寄ってみました。

こちらは特に見学スペースなどはないようで、

わずかな時間の滞在となりました。

 

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さて、時刻は13時。

せっかく鳥取まで来たので、少し寄り道をしていきます。

県道196号を戻り、千代川沿いに北へ。

県道32号はアゲインストの風が強くてなかなか進まない。

源太橋で対岸に渡り、R53に入り、

車の流れに乗って鳥取市街へ突入。

ひとまずは、他はさておきお腹がペコペコなので、

いつも鳥取を訪れる際はマストで訪れるなじみの店へ。

 

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ここのカレーが本当に大好きで、

何の変哲もない欧風カレーなのだけど、

とろみ具合、奥深い味わいが自分にドンピシャで、

かれこれお10年ほど通っています。

久々にありつけましたが、やっぱり好き!!

そして、デザートには、

これまた食べずには帰れないインド氷。

この頃はかき氷専門店が登場して、

いろんな味や工夫が楽しめますが、

10年前にこの味を知った時は本当に大発見でした。

いやあ、やっぱり旨い!!

大満足!!

 

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お腹を満たして、元気も出たので、

せっかくならもひと足。

裏道を伝って、県道318号に入る。

鳥取バイパスをくぐって、そこからちょいとの小登り。

ピークのトンネルをくぐれば、そこは鳥取砂丘!!

砂丘内は自転車乗り入れ禁止なのだが、

自転車を置いていくわけにもいかないし、

まあ言っちゃあただのでっかい砂場なので特にすることもないので

入り口のところで記念撮影して、すぐに退散。

 

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鳥取市街へ取って返して、もう一か所寄り道、

鳥取民藝美術館へ。

その隣には鳥取県内や山陰、全国の窯元の器がそろう、

たくみ工芸店があり、軽く覗いてみるつもりが、

余りに素晴らしいラインナップに一気に目の色が変わる。

ああ、あれもほしい、これもいい!!うわうわうわ!!

結局、思いがけず4つも器を買ってしまいました。

(まだもっと買いたかったのをぐっと我慢…)

 

お店の方と色々お話しできて、

窯元のこと器のこと教えていただきました。

大阪からチャリで来たというと、大層びっくりして、

外に置いてあったバイクにも興味津々にされてました。

 

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これだけ買い物で盛り上がるのも日頃あまりなく、

1人で盛り上がって、

どうにか帰って即日使いたい欲が勝ってしまい、

発送にせずに、二重に包んでもらってしまいました。

が、少し走ってみて、これは絶対割らずに走って帰るのは無理!

となってしまいました。

まあ、今回の目的は走ることより、器を求めることだったし、

早く持って帰って奥さんに披露したいということもあって、

復路は早々に断念して、鳥取駅からは輪行で帰ることにしました。

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帰宅後、早速器をお披露目。

まずは見事な大皿は筑前は日田の小鹿田焼(おんたやき)。

民芸運動の指導者・柳宋悦や

イギリス人陶芸家バーナード・リーチらによって

世界的に名を知らしめ、

1995年には国の無形重要文化財にも指定されています。

飛びカンナと呼ばれる道具を使って、

つけられた幾何学模様が実に美しい。

 

続いて右側の渋く深い色合いに焼き上げられた、

やわらかで無駄のないフォルムの中皿は、

鳥取・岩美町の延興寺焼。

手に持った時の収まりやすさがとてもよいのと、

使い勝手の良いサイズ感が購入の決め手でした。

 

そして下の二つは、今回訪れた中井集落にあった

牛の戸窯の小鉢。

静かながらにも力強く主張する黒と青のコントラスト。

たまりません。

 

そして焼き上がりの待ち遠しい、お目当ての因州・中井窯。

いい買い物ができました。

 

※画像の解説の紙、左右間違って置いてます…

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ということで、早速わが家の食卓にも

ジャンジャン登板していますが、

やはり同じ料理でも、素敵な器に盛りつけるだけで

なんだかおいしさが違います。

そして華やかな祝祭感が漂います。

今までの暮らしでは、あくせくと忙しい日々で、

きっとここまで深く感じたり、

こだわることのできなかったものに、

図らずも”気づき” が芽生えたのは、本当に幸せなことです。

こういう小さな喜びを日々少しずつ少しずつ。

 

ライドの方は、片道にはなりましたが、

久々にまっとうなロングといえる距離が走れてよかった。

やっぱり久しく乗っていないと、お尻やら腰や首やら、

あっちこっち痛いけれども、ペース的なものなんかは、

余りブランクを感じなかったし(もともと速くはないけどね笑)

鳥取も楽しめたし、いいライドでした。

 

ヨドコウ迎賓館(旧中邑邸) by フランク・ロイド・ライト

9月某日の話。

今クールのテレビ大阪の週末の深夜に、

『名建築で昼食を』というドラマがやっていた。

甲斐みのりさんの本を原作にして、

田口トモロヲさんと池田エライザさんが、

東京の名建築を散歩して、素敵な空間でランチをするという、

半分フィクションドラマ、半分ドキュメンタリーのような番組で、

取り上げるテーマや建築はもちろん、

役者さんたちの作り上げるキャラクター、

世界観を盛り上げる上質の音楽、

どれをとっても素晴らしくて、

とっておきの週末を演出してくれていました。

 

その第2話目に登場したのが、

建築界の巨匠フランク・ロイド・ライトが設計した

東京・目白にある重要文化財自由学園明日館でした。

自分も昔から建築やレトロビルが大好きで、

一度だけお邪魔したことがありますが、

これを見てまたぜひ再訪したいなあと思うのですが、

このコロナ禍の状況では、それももうしばらくは難しそうです。

その代わりにといっては何なのですが、

関西にも巨匠の手掛けた名建築が存在しているので、

そちらを訪れることにしました。

 

阪急芦屋川から、急坂を登った先にあるのが、

重要文化財に指定されているヨドコウ迎賓館(旧中邑邸)です。

こちらもフランク・ロイド・ライトが1918年に設計したものです。

灘の酒造家8代目、中邑太左衛門の依頼によるもので、

ライト帰国後に、弟子の遠藤新と南信によって建築されたものです。

 

西側に流れる芦屋川の谷の真上にある

南北に細長い南向きの斜面の台地の突端部に

威風堂々と構える見事な屋敷は、

その急峻な立地、傾斜と共存するように、

複雑な立体構造をもった階段状の4階建てになっています。

 

建築の専門的な部分の込み入ったところまでは

正確にお伝え出来ませんが、このWEB上で、

ちょっと建築探訪をしてみましょう。

(一般公開されている箇所とそうでない箇所があります)

 

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とても急な坂を上り詰めたところにエントランスがあり、

そこから緑の茂みの奥へと入っていくと、

重厚感あふれる大谷石で組まれた見事な玄関が見えてきます。

その石には精巧な幾何学模様の装飾が施され目を見張ります。

このファサードからして、

すでにとてもドラマチックな印象を与えてくれます。

 

早速の余談ですが、ここはかつてNHKで放送されていた

ドラマ『ロング・グッドバイ』というハードボイルドドラマの

撮影の場所でもありました。

(脚本は大好きな渡辺あやさん、音楽は大友良英さん!!)

主人公の孤独な探偵を演じる浅野忠信さんと、

ミステリアスな婦人役の小雪さんが、

それはそれは大人の痺れる演技を繰り広げたのがここで、

ドラマの重厚感を大いに醸し出すのにぴったりの建物でした。

 

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さて、この玄関ですが、

この重厚で大きな建築には一見してふさわしくないと思えるほど、

入り口が極めて小さくあります。

左側の奥まったところが玄関で、

扉は狭く大人一人がやっと通れるくらいの幅しかありません。

これはフランク・ロイド・ライトの特徴的な手法で、

入り口をあえて小さく設計することで、

建物の重厚さ荘厳さ威厳さを際立たせるとともに、

入った先の空間を広く感じられるようにするための演出になります。

 

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ここを入ったところが受付となっていて、

入館料500円をお支払いして、

石段の階段を上ってまずは2階へと進みます。

 

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2階は応接室が設けられており、その荘厳さに圧倒されます。

左右非対称の間取りに、重厚感あふれる深い木彫のテーブル。

安易なたとえですが、もう半沢直樹の世界です。

 

南に向かってバルコニーが設けられていて、

海からの風を取り込みやすく、通気性に富んでいます。

また高低二重の天井には高窓があり、

それらを開放することで、なお換気性が効率的に図られています。

東西の両サイドには大きく窓が取られており、

周辺の木々の緑が実に見事に取り込まれています。

入口の方、部屋の木型側に振り替えると、

大谷石造りの重厚な暖炉が鎮座し空間を見事に引き締めています。

 

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2階から3階へ上がると、踊り場があって、

左右へとつながる階段がさらにあり、

左は和室前室へ続く広間、

右は建物西側に面する長い廊下になっている。

 

左の広間は、大谷石の手すりがドーンと張り出し、

踊り場から吹き抜け調になっている空間で

存在感を発揮しています。

 

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踊り場から右側の廊下には、

西側に大きく取られた窓が特徴的で、 

外の緑と光を大胆に取り入れながら、

飾り金具のシルエットが光の加減で絶妙に床に反映されて、 

 それがとても上品な美しさ。

  

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その廊下の反対側、つまり東側は、

先ほどの広間から、ずどんと、3室の畳敷きの和室が連なっています。

フラン・クロイド・ライトの当初の設計では、

和室は盛り込まれていなかったのだが、

依頼者のたってのお願いで設けられたのだそう。

 

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建物南側の廊下・和室のセクションの先には、

先ほどとは別の階段の踊り場がある。

ひとつは4階へあがる階段があり、

建物の北側へ向かう、3段ほどの階段の先に短い廊下。

 

この3段の階段から先は

プライベートな住まいの空間になっており、

それを示すかのように、

天井がゲートのように張り出して、少し低くなってくる。

手前側の空間と奥の空間との印象を変えるために、

このわずか3段の階段と天井の意匠を設けることによって、

パブリックとプライベートを

さりげなく区切るニクい演出と、

敷地の斜面を効率的に活用した

高度な技がここに垣間見えます。

 

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導線が幾重にも枝分かれするこの境の場所には、

洗面所と浴室が西側に設置されています。

洗面台は当時としては最先端で、

温水と冷水の蛇口が対で2組取り付けられています。

その奥の浴室は、タイル張りになっており、

採光用の窓のひし形が目に入ります。

 

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踊り場へ戻り、奥を眺めると、

さらに複雑な導線と、いくつもの段差が

まるで迷宮のように待ち受けています。

左手の先が使用人の部屋となっていて、

手前に設けられた小さく狭い階段は

4階の使用人室兼厨房へとつながっていて、

バックヤード専用の通路になっている。

ゲスト、家族、スタッフのそれぞれで、

空間も導線もきちっと棲み分けされているのである。

 

そして右手は、廊下が少し東側に角度を振って、奥へと続く。

これは、敷地自体がそのような形状をしているためで、

土地に逆らうことなく設計されていることがわかる。

この先は、当時の家族のプライベート空間だったが、

現在は、売店と資料を閲覧するビデオルームとして活用されている。

 

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さて、いよいよ最上階の4階へ上がってきました。

4階は階段を上がると食堂になっており、その奥に厨房がある。

食堂の天井はトンガリの形状をしているので、広々と感じられ、

三角形のスリットの間に換気と採光ようの窓がちりばめられています。

またこの部屋には建物の設計上は全く必要のない

(つまり屋根を支えたり、強度を維持するには不必要なという意味)

様々な飾りや梁が取り付けられ、

心地よい空間のためのデザインが追及されています。

さながら小さな教会のような趣きが感じられます。

 

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そして4階の食堂からは

南斜面へ向かって突き出るように伸びる

長い長いバルコニーに出ることができます。

振り返ると、暖炉の煙突が屋上から突き出て、

まるで船の帆のようです。

そして大谷石造りの柱が重厚感を演出しています。

 

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バルコニーを伝って先へ向かいます。

大阪湾へ向かって一直線に伸び、開放感が抜群。

現代こそ、たくさんの高層ビルや建物が見えますが、

建築当時を考えると、

本当に海と空に向かって伸びあがっていくような

爽快感を感じられたのではないでしょうか。

それも建物内部の重厚感とのコントラストが一層、

効果的に発揮されているのです。

 

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3階屋上の暖炉の煙突を抜け、バルコニーの突端へ。

芦屋川に沿って住宅が連なり、その先に大阪湾。

そしてその向こうには泉州泉南の山の連なりがあり、

湾曲する大阪湾を一望できます。

それほど高度を上げずとも、これだけの眺望を得られるのは、

やはり六甲山が海からいきなりせり出しているからで、

阪神間の特徴を見事に生かし切っているということでもあります。

 

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一通りすべてのフロアを見学した後も、

すっかりこの空間に魅了されて何度も部屋を行き来して、

隅々まで堪能しました。

 

最後に再びエントランスへと戻ってきました。

やはりこの一番最初にアプローチするこの空間の

最初の印象、インパクトこそが、

そのあとの建物の全てのフィーリングを決定づけている

といって過言ではないと思います。

この正面玄関の南側からも、眺望が見事に飛び込んでくるのですが、

周囲の重厚な柱が、ビンテージ物の額縁のようにして

まるで絵画のように切り取られています。

お見事というしかありません。

 

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ということで、ヨドコウ迎賓館(旧中邑邸)でした。

空間の見せ方、眺望の捉え方、光や風の取り入れ方、

敷地の高低差に逆らうことなく、

また周辺の緑や環境と絶妙に共存する柔軟な考え方、

細かな空間の切り取り方で居住区と応接区を

絶妙にすみ分ける技法、

そしてあそび心を随所に取り入れた意匠の数々。

さすが建築界の巨匠、フランク・ロイド・ライト

大いに見ごたえある建物でございました。

 

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さて、名建築をすっかりと堪能して大満足なのですが、

せっかくここまで来たのに、わが聖地をスルーしては帰れません。

ということで、川を渡ったら山側へ向かい、

そのままいつもの場所へ軽く山歩きして帰りました。

 

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