記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

岐阜攻め 岐阜城&犬山城

またまた時間を巻き戻して、3月の事。

長女とのしまなみチャレンジの大成功も束の間ですが、

中学校生活が始まるまでの間に、

もうひとつやっておきたいことが。

この1年ほど、長女が歴史、それも戦国時代に大変興味を持ち、

なんでかは何度理由を聞いても理解できないのだが(笑)

大の織田信長ファンとなり、寝ても覚めても信長。

以前に別記事でも書きましたが、

クリスマスプレゼントとしてサンタに信長グッズを希望され、

わざわざ岐阜まで買い付けに来て、随分苦労させされました。

(その記事は下記よりどうぞ)

 

arkibito.hatenablog.com

 

で、春休みに行きたいところ、やりたいことを娘に聞くと

当然信長ゆかりの地へ行きたい!ということだったので、

それではと岐阜への1DAYトリップを敢行した次第。

(まさか半年たたずに再び岐阜城を訪れるとは…)

 

自分一人ならば貧乏旅行で在来線鈍行もありなのだが、

娘に不憫はさせられないので、新幹線利用。

がらがらのひかり号で岐阜羽島まで。

そこから名鉄羽島線に乗り換え。

枝線ですがなかなかのローカル感。

笠松駅名古屋本線に乗り換え名鉄岐阜駅に。

 

f:id:arkibito:20210407100110j:plain

f:id:arkibito:20210407101254j:plain

f:id:arkibito:20210407101814j:plain

 

岐阜駅からはバスで岐阜公園へ。

途中、柳ケ瀬の辺りでアナウンスのCMで

「ダンス!ダンス!ダンス!」と軽快に入るのを聞くと

ああ、岐阜に来たなと思いますね(笑)

15分ほどで岐阜城直下の岐阜公園にやってきました。

 

まずはロープウェイ乗り場の裏手にある信長公居館跡へ。

ここは今も発掘調査が行われている場所です。

金華山の西麓にある槻谷周辺は信長によって造地された場所で、

谷の中央に流れる川の左右に、段々地形を造り、

そこに金箔をあしらった住居建物が配置されていたそう。

 また背景には、2つの大滝を借景とした池をもつ京風庭園も設けられ、

天下人にふさわしいお屋敷風情が広がっていたそう。

長女は興味津々であちこち写真を撮っておりました。 

 

f:id:arkibito:20210407112003j:plain

 

そしていよいよお目当ての岐阜城へ向かいます。

ロープウェイもありますが、自分と長女の事ですから、

やはり自分の足で登ります。

金華山は色々なルートがあるのですが、

長女が選んだのはやっぱり自分と同じで、

一番険しい馬の背登山道でした笑笑

 

f:id:arkibito:20210407114343j:plain

 

丸山まではジグザグと緩やかな山道で、

そこから一気に岩の壁を登るような急斜面です。

長女は足場を丁寧に選びながらも、

サクサクっと登っていきます。

この日はなかなか気温が高い日で、

上着を脱ぎ脱ぎしても汗だくでした。

 

f:id:arkibito:20210407114724j:plain

f:id:arkibito:20210407114744j:plain

f:id:arkibito:20210407114819j:plain

 

40分ほどかけて無事に山上へ上がってきました。

すると見事な青空バックの岐阜城がドドーンとお出迎え。

アッパレかな~。

 

f:id:arkibito:20210407132104j:plain

 

岐阜城(旧名:稲葉山城)は、鎌倉時代以来の歴史を持つ城で、

斉藤道三によって本格的に城郭として整備されました。

その後、1567年の稲葉山城の戦いののちに、

小牧山城から信長が当城へ本拠地を移し、

その際に、天下布武の足掛かりとなる地として、

当地名を井之口から岐阜に変えました。

その後、要城として戦国の舞台に登場しますが、

関ケ原の戦いの前哨戦となる岐阜城の戦いにおいて、

石田光成率いる西軍方についた

信長の嫡孫にあたる秀信(かつての三法師)は、

東軍型の池田輝政福島正則の猛攻にあい、

付近からの援軍が間に合わず孤立し、わずか1日で陥落しました。

そして翌年には家康の命で廃城となります。

 

さて、岐阜城天守閣の資料館へ。

展示の品々を見ながら、娘にレクチャーします。

ほくほく顔で聞く娘。

我が家では長女にならって信長のことを、

親しみを込めて「のぶちゃん、のぶちゃん」と言っているのですが、

他の見学者がそれを聞いて大笑いしてました笑笑

 

f:id:arkibito:20210407124458j:plain

 

そして天守のてっぺんへ。

全快は天気が悪かったのだけど、

この日は最高も最高、スッバラシイ眺望が!!

 

西の方を見やれば、南から連なる鈴鹿山系の切れ目のところが関ケ原

その少し北側に1つ突き出た峰が伊吹山

そして眼下を流れる大河が木曽三川の1つで、

鵜飼いで有名な長良川

 

f:id:arkibito:20210407125111j:plain

 

こうしてみると、この城が理にかなった立地しているのがわかります。

まずは、背景を大河が流れ、急峻で頑丈な小高い岩山にあるという

防御面での利点、

そして交通の要所である関ケ原の様子を常に監視できる戦略的な利点。

城下の様子もここからであれば、何かあればすぐに察知できます。

 

ただし!です。

この一見鉄壁で難攻不落な岐阜城ですが、

実は戦国時代に何と6度も落城の憂き目に遭っているのです!泣笑

土岐氏の家臣による謀反、竹中半兵衛による落城、

織田信長による攻略、本能寺の変後に明智光秀側による落城、

賤ケ岳の戦いによる落城、関ヶ原の戦い前哨戦)

これは、決してこの城に弱点や欠陥があるというよりも、

それだけ歴史的に極めて重要な地点で、

常に壮絶な争奪戦が繰り広げられてきたが故の宿命といえるでしょう。

 

f:id:arkibito:20210407125451j:plain

 

南側はまっ平らな濃尾平野が海までひたすらに続きます。

こちらも知多や岡崎あかりから伊勢方面への

東海道筋の様子まで見えますね。

そして城から少し行ったところには木曽川が流れていて、

それもひとつの外堀としての機能を果たします。

 

f:id:arkibito:20210407130210j:plain

 

北側の景色は、南側の広大さとは打って変わり、

川の対岸からすぐに山間部が続いていきます。

はるか向こうに、白雪をかぶった御嶽山

そしてさらに奥に北アルプスの山並みがうっすらと。

夏にはまた帰りたい場所です。

 

f:id:arkibito:20210407125850j:plain

 

ゆっくりと絶景を満喫したのち、

城の横にある資料館ものぞきます。

こちらには大河ドラマ麒麟が来る』に関するものが

展示されていました。

 

f:id:arkibito:20210407131723j:plain

f:id:arkibito:20210407131540j:plain

f:id:arkibito:20210407131529j:plain

f:id:arkibito:20210407131524j:plain

 

さて帰りも当然、人力です。

色々あるルートのうち、娘が選んだのは、

ロープウェイ乗り場の横から下る百曲りコース。

もちろん「百曲り」とは、

それほど曲がりくねった道という比喩的な表現ですが、

こうなると、ほんまに百曲がりしてるのかと、数を数えだす娘。

しかし、どこかどこまでをカーブとカウントするのか、

明かなクネクネの部分もあるが、

大抵はほぼまっすぐなコース。結局下まで数えて、

明らかな曲がりは40もなく、

「なんやねん!」と娘は突っ込みを入れていました笑

”坂道姉ちゃん”にはちょっと物足りなかったかな??

 

f:id:arkibito:20210407135224j:plain

f:id:arkibito:20210407140207j:plain

 

下ってきて、ロープウェイ乗り場の売店で、

しこたま関連グッズを買う娘。

うれしすぎてウホウホしてる。

わが娘ながら変わっとんなあ…

 

f:id:arkibito:20210407141753j:plain

 

さて、岐阜公園を後にし、いったん岐阜駅前へ。

せっかくなら、もうひとつの名城へご案内と、

そこから名鉄各務原線に乗り、のんびり犬山へ。

 

犬山城の閉館時間が16:30で、

間に合わないとせっかく足を延ばした意味がなくなるので、

お昼ご飯を取らずにとりあえず移動優先で来ましたが、

おかげで時間の余裕ができたので、

犬山城下町の中心部である本町通りで遅めのランチ。

犬山といえば、今売り出し中なのが団子です。

いろんなお店で、いろんな団子がアピールされてました。

そのうちのひとつで休憩。

何とカラフルな団子&生麩田楽たち。

 

f:id:arkibito:20210407152622j:plain

f:id:arkibito:20210407153418j:plain

f:id:arkibito:20210407153728j:plain

 

そして国宝犬山城(別名・白帝城)へ。

ここは言わずと知れた現存十二天守のひとつで、

国宝五城のひとつです。

1537年に信長の叔父である信康によって築城され、

当時のまま現存する最古の天守閣を持つ城は、

実は2004年まで代々城主を務めてきた

成瀬家による個人所有でした。

 

日本ラインと称される木曽川の流れの速い峡谷を背後に従え、

小高い丘の上に建てられた「後堅固の城」は、

尾張国美濃国の国境に位置し、

また中山道と名古屋道に通じる交通の要衝として栄えます。

戦国時代には、織田信長織田家一族の領地争いを繰り広げ、

豊臣(当時は羽柴)秀吉が小牧・長久手の戦いで入城し、

本陣を敷いて徳川方と対峙、

また関ケ原の戦いの前哨戦で、西軍型の拠点であったが、

先の岐阜城が落ちると東軍に占拠され、

徳川家康が天下分け目の戦いにむけて勢いを増すことなるなど、

三英傑がこの城を舞台に活躍した、

歴史上きわめて重要な城でもあります。

 

f:id:arkibito:20210407160529j:plain

f:id:arkibito:20210407161109j:plain

 

では早速中へ入ってみましょう。

自然石をそのまま積み上げた「野面積」の石垣を、

急な階段で登ります。

他のお城では登りやすい階段や、エレベーターがあったりしますが、

当然そんなものはありません。

こうやって急で狭い造りにしているのは、

侵入者が容易に上がってこれないようにするためです。

 

f:id:arkibito:20210407161243j:plain

f:id:arkibito:20210407161517j:plain

 

ひとまず順路に従って、まずは最上階の四階の望楼まで。

この日はかなり風が強くて、吹き飛ばされそうなほどで、

コロナ対策の換気十分です笑

 

南側はすぐ下に城下町が広がり、

なだらかなスロープのように下っていきます。

そして目と鼻の先には小牧山城があり、

秀吉軍と家康軍が激しくやり合った地が見渡せます。

 

f:id:arkibito:20210407161600j:plain

 

西側は木曽川が目前まで迫る見事な眺望。

対岸の伊木山、そして手前に架かるはライン大橋。

このライン大橋は濃尾用水の取水用の可動堰にもなっています。

そしてはるか西方の奥にある山にちょこんと、

先ほど訪れた岐阜城のシルエットも。

 

f:id:arkibito:20210407161703j:plain

 

北東側は、対岸に鵜沼の街並みがあり、

その奥には数年前に縦走した各務原アルプスの山並みが連なります。

また東側は日本モンキーセンターのある一帯。

いかにも風光明媚な場所ですね。

 

f:id:arkibito:20210407161944j:plain

 

さて、犬山城は外観3重、内部は4階、地下2階の構造です。

4階の望楼は回廊となっていますが、

これは成瀬氏によってのちに増築されたものとされています。

3階は破風の間。

2階は武具の間となっていて武具を置く棚が中央にあり、

それを取り囲むように武者走りが巡っています。

1階は、中央に武将が陣取る上段の間、

それ以外に納戸をふくめ3つの間があり、

城の急所である南東の角には付櫓が張り出して、

側面攻撃が可能な造りになっている。

また北の両隅には石落としも備えられています。

 

娘の付き添いで始まりましたが、

城めぐりもなかなかに興味深くて面白いですね。

 

f:id:arkibito:20210407163030j:plain

f:id:arkibito:20210407163211j:plain

 

さて、この日は岐阜城犬山城

それぞれ戦国の世に重要な役割を果たした

2つの城をめぐることができました。

娘も大満足の様子で何より。

 

あとは、帰るだけなのですが、

名古屋で新幹線に乗り込む前に、

ぜひとも寄っておかねばならない場所が。

名古屋の常店・のんき屋の串カツを

食べて帰らないわけにはいきません!

ということで、こちらへ。

もうずっとずっと食べたくて仕方なかったのだけど、

なかなか名古屋に行く用事もなし、

コロナの影響もあるし、本当に久々にこの味にありつけて嬉しや。

娘も、ここの絶品のどて焼きや串カツ、ホルモンにメロメロ。

そうでしょ。そうでしょ。

こんなん近所に遭ったら毎日でも通うわな。

もう次から次へと注文して腹がちぎれるまで食べました。

ああ、これを書いてるだけで、

またすぐにでも食べたくなる@@

 

f:id:arkibito:20210407181441j:plain

f:id:arkibito:20210407181345j:plain

f:id:arkibito:20210407181723j:plain

f:id:arkibito:20210407182230j:plain

f:id:arkibito:20210407184218j:plain

f:id:arkibito:20210407182615j:plain

 

 ということで日帰り歴史トリップ、

大満足のうちに終了です。