Music Life 弾き語りセレクション みんなのうた60
2021年4月で、NHK教育テレビの『みんなのうた』が祝60周年!
誰もが一度は聞いたことのある曲、さまざまな時代を彩ってきた曲、
小さい頃から音楽に触れることのできる貴重な機会として、
長く愛されてきた番組です。
自分も、子供の時分に番組を通じて様々な歌や音楽と出会い、
それらが自分の音楽の礎になっているし、
子どもができて、再び、朝夕などに番組を見るようになって、
子どもと一緒に口ずさんだりしています。
そんな『みんなのうた』60周年を祝って、番組を代表する歌、
自分の記憶に深く残っている曲を弾き語りします。
まず1曲目は誰もが知っている『ドレミの歌』。
これはもとはミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の楽曲で、
それをブロードウェイで聴いて感動した
ペギー葉山自らが訳詞を手掛けたものが広く普及しました。
続いては番組をきっかけに大ヒットした、
みなみらんぼう作の『山口さんちのツトム君』。
実はこの曲には続編があって、
つとむ君を見守っていた女の子ユミちゃんの目線で描いた
アンサーソング『ユミちゃんの引越し 〜さよならツトム君〜』
というのもあります。
続いては、おそらく「みんなのうた」の中でも1,2を争う人気曲、
堺正章の『北風小僧の寒太郎』
カンタロー!!の合いの手はきっと誰もが知っていると思います。
羽田空港まで冬を連れてきます。
続いては、当時のこども達のトラウマ曲として
よく取り上げられる
大貫妙子の『メトロポリタン美術館』。
薄暗いクレイアニメが少しこわごわとしていて、
しかも最後には主人公の女の子が
絵の中に閉じ込められてしまうという衝撃のラスト@@
続いては、『コンピューターおばあちゃん』。
ようやくこの頃からコンピューターというものが社会に進出し、
また音楽の方でもテクノポップがフューチャーされてきたという
80年代当時の雰囲気がよく出た歌です。
編曲を担当しているのはYMOの世界の坂本教授なのです。
続いては、「みんなのうた」の歴史の中でも、
超レア曲として有名な『ミスターシンセサイザー』。
歌っているのはなんとタモリさん!!
続いては、子供ながらに翼をもがれて、
堕ちて死んでゆくイカロスに涙した
『勇気1つを友にして』
ギリシャ神話の『ダイダロスとイカロスの話』を題材にした歌です。
このメロウな曲がなぜだかずっと印象に残っていて、
こういう寂しい曲好きの原点。
続いては、やなせたかしが作詞を手掛けた
『手のひらを太陽に』。
トンボだって、オケラだって、アメンボだって、
みんなみんな生きているんだ、 友だちなんだ!!
続いては、のちに平井堅がカバーをしたことでも有名な
『大きな古時計』。
元は1876年にアメリカで発表された
ヘンリー・クレイ・ワークによるポピュラーソング。
美しい物語を読んでいるような 、
思わず感情移入してしまう名曲ですね。
続いては、卒業ソングの定番曲でもある
『ありがとう・さようなら』 。
子供たちに数多くの名曲を作曲し続けてきた福田和禾子が
「100年残る名曲を」という意気込みで作った楽曲だそうで、
その強い思いがひしひしと感じられる名曲です。
続いては、財津和夫作『切手のないおくりもの』。
こちらも番組から大きな反響となり、人気となった曲です。
とにかく歌詞が素晴らしい。
ラストは、「みんなのうた」の中で、
個人的に最も心に残っていて大好きなゴダイゴの
『ビューティフル・ネーム』
1979年ユネスコが宣言した国際児童年の協賛曲ということで、
子ども達にむけて、わかりやすく素晴らしいメッセージが込められた曲。
自分の小学校では、この曲が休み時間に毎日流れていて、
この曲を聞くたびに、
子供の頃の楽しかった思い出がよみがえります。
ということで「みんなのうた」60周年特集でした。
まるで歌のユニバーサルデザインといえる、
老若男女、誰が聴いても楽しい、印象に残る名曲ばかりでしたね。
これからも70周年、100周年と続いて、
素晴らしい歌を送り出してほしいです。
音楽劇『プラネタリウムのふたご』 at 梅田芸術劇場
こちら、2月に戻ってのお話。
本当は2020年に上演されるはずが、
コロナによって1年延期になって、
いよいよ満を持して開催された
音楽劇『プラネタリウムのふたご』を鑑賞しに、
梅田芸術劇場へ。
原作は大好きないしいしんじさん。
いしいさんの作品はどれもこれもが愛おしいものばかりですが、
個人的に本作(それから『ポーの物語』)は
とりわけ自分の心の奥深くにいつまでも留まり続けている
大切な大切な作品です。
お話は赤い糸で結ばれた
テンペルとタットルの双子の兄弟の
数奇な運命をたどる物語。
一人はとっておきのマジックで、
一人は夜空の星々を紡いだ物語で、
人々を喜ばせる。
温かなウソとマヤカシで繋がる見えない心と心、
それはいつしかホンモノを超えてゆく___。
演出・脚本はウォーリー木下さん。
以前に同じいしいさん原作の『麦踏みクーツェ』を
2015年に舞台化もされています。
2017年の手塚治虫原作の『W3』なども素晴らしかったですが、
演者の身体性(ノンバーバルな部分)を重視した演出や
様々なデジタル技術を用いた演出に定評がある方です。
本作では、最初は一心同体のようにして生まれ育ってきた双子が、
ある出来事を境に、別々の星へと導かれてゆくのですが、
後半、それぞれの運命をゆく双子の出来事を、
同時進行でオーバーラップさせて見せていくという、
非常に難易度の高い演出方法がお見事でした。
普通なら、シーンごとに区切って、
これはテンペルのシーン、
次はタットルの出番とするようなところを、
同一のステージ上で、同時に成立させてしまう。
そうすることにより、作品として切れ目なく
流れるように見せることができると同時に、
物語としても、別々の星に導かれ、
別々の生業で、別々に生きているふたご達が、
たとえそうであっても、実は根っこは全く同じで、
いつでも強く繋がっている、一緒に生きているのだということが、
より強くはっきりと感じられるのでした。
と、言葉では簡単に言えても、
やはりそういう想像力でもって構成しないとできない技であり、
またそれをきちんと理解して応えなければいけない役者さんの
苦労ぶりが目に浮かぶようですが、
これが見事にはまっていました。
またウォーリーさんらしい、映像とのコラボレーションも素晴らしく、
おおぐま座の語りのシーンで背景に映し出される天体の様子やら、
熊狩りのシーンで、作品に立体感を与えていました。
音楽は、こちらも『麦踏みクーツェ』から引き続き、
トクマルシューゴさん!!
音楽劇と銘打っているだけあって、
本作にとって音楽はもう一つの主役、
そして、いしいさんの書かれるお話からは、
実際、いろいろな音やメロディーが流れるものですから、
より一層に音楽がとても重要になってくるのですが、
これが本当に祝祭的な楽しく可笑しみのある、
トクマルさんらしい音楽の数々で素晴らしかった。
特に、『イのない世界』、あと「ツチノコはいる!」
ぜひ、サントラ出してくれたらいいなあ。
そして、役者の皆さんがなにより素晴らしかった!!
永田さんと阿久津さんの息ぴったりのシンクロニシティ、
それも舞台狭しと爽やかに駆け抜けてゆく2つの風のよう。
それでいて、テンペルはテンペルらしい、
タットルはタットルらしい個性もきちんと感じられていて、
まさに一心同体で、本当に2人の幸福を願ってやみませんでした。
そしてそんな2人を、静かに温かく見守る泣き男を、
真心のこもった優しい語り口で演じた佐藤アツヒロさんの包容力。
もはやほんとうの父親であり、ほんとうの母でもある
あの泣き男だからこそ、
双子があんなにものびのびと大きくなったのだなぁ。
そして、セコくて、かまってちゃんで、少々面倒くさいけれど、
決して悪人ではなく、どこか憎めない、実に人間臭い工場長を
キッチュさんが演じられていて、
そうそう!こういうおっちゃんいる!と、さすがの芸達者ぶり。
妹役の前島亜美さんの明るさと、溢れ出るパワーは、
舞台上で素晴らしいアクセントとして輝いていました。
そして、キャストの中でも1番目を見張ったのは、
威風堂々たる座長テオを、
老いの哀愁を纏いつつ演じた大澄賢也さん。
一瞬にして舞台を自分色に染めてしまうような圧倒的な存在感を、
ご自身の身体以上の大きなオーラをしっかり纏わせて見せつけつつ、
全盛を過ぎ、焦りや労を隠し切れない、
そんな寂しさを同時に体現されていました。
実際に手品も披露されるのだけど、
あれも相当の訓練をされたのだろう。
さすがベテランの舞台役者さんです。
今までテレビ等でしか拝見したことがなく、
そのイメージとはまた違た持ち味を見ることができてよかったです。
そのほかの皆さんも、見事な一座の団結ぶりでした。
演者の皆さんは舞台転換も自分たちで、
そして他の場面では別役やエキストラと一人2役、3役と大忙しで、
みんなで一つの激を作り上げていくんだという
一体感と熱を大いに感じました。
その熱を感じる事こそ、生の舞台の醍醐味だなあ。
終演後、会場前の人だかりに、いしいさんを発見!
約1年ぶりにごあいさつ。
ご自身の作品がいろいろな人に愛されて、
こうやって新たな作品へと昇華していくのを
とても喜んでおられました。
ぴっぴ君はまた一段と大きくなってましたが、
相変わらずの人懐こさと好奇心旺盛ぶり。
ちょうどF1開幕前だったので、少しだけF1話をしたり。
園子さんもお元気そうで何よりでした。
コロナ禍において、その最初期にやり玉に挙げられたことで、
一層困難な状況に陥り、
ほとんど壊滅的と言わざるを得ないほどの演劇業界において、
それでもこうやって、万全の対策を講じ、
どうにかこうにか上演にこぎつけるだけでも相当な苦労の中で、
長期間にわたるお稽古やリハーサルを経て、
こんなにも素晴らしい作品を、
堂々と上演していただいたみなさんには、
感謝とねぎらいを込めたありったけの拍手をお送りしたいと思います。
我々が豊かに暮らすためにはやっぱり、
エンターテインメントは必要不可欠、改めてそう実感しました。
本作はDVDの発売も決定して、さっそく予約済み!
<追記>
ちなみに本作は、
今回のキャスト制作陣とは別に、
2019年に、所属を超えた関西演劇界の若手らによる作品も上演されて、
そちらは、若手のキラキラとしたフレッシュさがよく出た作品でした。
春ポタ & 毛馬閘門
まだ大物記事が2つ3つありますが、体力が続かないので。
先にこちら。4月のお話。
健康診断結果がよくなかったのを、
意外とずっと気にしていて、コロナ対策をしつつも、
今年はできるだけ健康重視、運動志向でいきたいなと。
とはいえ筋トレとか柄でもないので、
やはりお山と自転車中心なのだけど、
遠征とかはそんな頻繁にできるものじゃないので、
まずは、できるだけ近場で、
毎日時間があれば1時間でも2時間でも
歩いたり、ポタリングをするところから。
最近は、長女のマウンテンバイクをミニベロ代わりに拝借して
ぐるぐる。
4月に入って、ずいぶん気候も暖かくなって、
寒さに出不精も解消。
人出は確実に増えてきているけど、
平日の中途半端な時間ならそれもまばら。
桜をめでつつ、川沿いをお散歩。
新淀川と大川の間にあるおなじみの毛馬閘門。
この日ちょうど通りがかったら、
土砂を運ぶ運搬船の一団がやってきた。
閘門が実際に稼働するのが見れるチャンスだったので
しばし見学。
大河となった淀川が、現在のように、
毛馬付近から河口部まで
直線的に大阪湾に流れるように開削されたのは、
明治期の大治水工事によるもの。
一方で、この毛馬から枝分かれする旧淀川本流である大川は、
堂島や道頓堀界隈といった大阪市街地の中心部を流れているため、
河川が氾濫しないように、常に水面管理されていて、
新淀川から流入する水量を調整する役割として
毛馬閘門が設けられている。
そのため、大川は淀川に対して、
約2~3mほど水面が低くなっているのだが、
現在でも、重要な水運機能を担っている淀川と大川の間を
船舶が航行するのに支障をきたします。
そのため、この毛馬閘門で、
2つの河川の水位差を調整することによって、
船舶の往来をスムーズに行えるようにします。
具体的には、閘室とよばれるスペースに船を引き入れ、
その両サイドを水門で閉鎖し、
閘室内の水を排水して水面を下げたり、
給水して水面を上げることにより、
進行する方向の河川との水面と一致させるという、簡単な仕組み。
これは、少し前に大きなトラブルとなっていたスエズ運河などでも
原則は同じ仕組みです。
今回は運搬船が淀川から大川へ向けて進んでいくので、
閘室内の水を排出して、水位を下げることになります。
下の2枚の写真を見比べてもらうとわかりますが、
1枚目は、船が閘室に入ってきたところ、
2枚目は、排出が済んで、大川内へと船が進行していくところです。
船の高さや、閘室の側壁の露出面を比べると、
実際に水位が大きく下がっているのがよくわかりますね。
ちなみにこの閘門・水門は、いくつか設けられていて、
常に水位を調整し、台風や豪雨、高潮による河川氾濫に備えています。
この日はもう少し足を延ばして、淀川CRで太子橋まで。
途中、おやつに角屋さんのアイスモナカ。
それから目と鼻の先にある回転木馬に立ち寄って、
ひさびさに店長と班長と立ち話。
それからもうちょっとだけ足を延ばして、
城北運河の先まで。
関目、今福あたりをのんびり進んで、寝屋川に突き当たる。
東大阪界隈も、水路が網の目のように張り巡らされているので
これらも探検してみても面白いかもしれない。
この日はそのまま寝屋川を伝って大阪城に出て、
川崎橋で造幣局へ渡って、お散歩終了。
ちょいと岩湧山
こちらも3月の話。
健康診断の結果が軒並み悪くなっていて、
もちろんコロナの影響大なのですが、
一番大きいなあと感じているのは、
自宅勤務となって、通勤がなくなったこと。
自分は人よりも良く歩く方で、ここ5年以上は、
平日でも平均1万歩以上で、
それに加えて週末は山歩きなどで5万、6万歩とかだったのが、
去年は年平均で5千を下回っていて、
その分新陳代謝がガクっと落ちてしまっているのが、
きっとかなり大きいのだ。
これはいかん!と、今年に入ってから、
積極的に歩いたり近場でいいので自転車でめぐるようにしている。
で、とある週末、たまには違うお山をと思って、
あまり日頃は足を向かない和泉葛城山系へ。
眺望の良い岩湧山へ、久々に。
ということで、昼から出動で、
南海電車でアプローチして、天見駅に降り立ったのが13:40。
帰りの滝畑からのバスが17:13(その次の最終19:08はそも除外)。
意外と距離があるので、
最初からそこそこのペースでいかないといけない。
駅を出て、旧R371を渡り、小さな集落を進みます。
さらに少し歩いたところが、砥石谷登山道の入り口。
ここからしばらくは舗装されたなだらかな道を、
小さな谷伝いに進んでいきます。
ある程度進んでいくと、まずまず急な階段が登場。
そこをえっちらおっちら上り詰め、
少し開けたところの鉄塔を過ぎると
ダイヤモンドトレイルの本線に合流します。
ダイトレは2017年に屯鶴峯から槇尾山までのフル52㎞を完歩しました。
ダイトレに入り、最初のうちは、
ゆるく上ったり下りたり、静かな森歩き。
じきに視界が開けて、鉄塔が見えてきます。
その先からがいよいよ本番。
延々と続く急な階段地獄が待ち受けます。
登れども登れども階段。
体力不足の体にはかなりキビシ~@@
本当にしんどいです。
どうにかこうにか一番の難所をクリアして、
ようやく三合目に到着。
さすがにちょっと休憩を入れました。
ここからは山の尾根伝いに平たんな道を水平移動です。
六合目のところで、山は二重稜線となり、
一本北側の尾根へと進みます。
五ツ辻までは斜面をなぞるようにして進みながら、
相変わらずの階段も。
そこからさらに、鈍いアップダウンを繰り返していきます。
北にある岩湧寺からのアプローチ道をいくつかクリアして
森を抜けると前方に茅場広がる山が見えてきました。
この最後の階段がなかなかどうして、
かなり骨が折れますが、
これを登ったところが岩湧山のテッペン。
ここは眺望が良くて、
この日はあいにくの曇天だったので、
あまり遠くまでは見渡せず。
ちょっと風もあって寒いし、バスの時間もあるので、
10分ほどで退散します。
すすきの原をゆっくりと降りていきます。
扇山の鉄塔からは、稜線の南側に回り込んで、
森を抜けていきます。
軽快にペースを上げて無事時間に間に合うように
滝畑まで降りてきました。
時間通りにバスで河内長野まで出て、そこから南海で帰宅。
見晴らしがいいこともあって、
ビギナー向けの山として紹介されることも多いのだけど、
いやいや、どうして、そこそこの距離、
そしてあの地獄階段は伊達じゃない。
でも確かにいいお山です。
【山行記録】
13:40南海天見駅⇒13:49流谷八幡神社⇒13:53砥石谷林道入口分岐⇒
14:20ダイトレ砥石谷道分岐⇒14:45岩湧山三合目⇒14:53岩湧山四合目⇒
最果タヒ展 at 心斎橋パルコ
最果タヒ展。
言葉の質量、その重さあるいは軽さについて。
わたしが吐息のように吐いた誰にも届くはずのなかった言葉たちが、
冬の空気に触れて凍りついたとしたら、きっとこんなだろうか?
あの人の、わたしの、誰かの感情のカケラが宿る言葉の森に、
あなたの言葉もきっと眠っている。
3月某日。
去年11月に新装オープンした心斎橋パルコへ。
自らの素性をほとんど明かさないがゆえに、
ますます彼女の実態・深層について知ってみたい、触れてみたいと
気になる存在であり、
実際、若手の詩人として今各方面から熱い注目を浴びている、
最果タヒさんの展覧会にいってきました。
デコレーションされた形容のファンタジー世界ではなく、
SNS時代の実にドライでリアルで生々しい言葉の中に、
時に破滅的なほどの脆さや、
暴力的なほどの鋭利さが見え隠れする彼女の感性は、
内面の宇宙を照らし出す羅針盤のよう。
作品の一つ一つが完成され完結しているというよりは、
彼女の紡ぎだしたおびただしい数のセンテンスを、
ランダムに抜き出したり、
乱暴にページをめくった先に印字されている言葉や詩、文を
でたらめにつなぎ合わせたり、ループさせたり、
そうやって言葉と戯れることで生まれる一種の浮遊感が
居心地の良さ(あるいは悪さ)を感じさせるのだ。
そして、彼女が彼女自身で紡ぎだした言葉に、
様々なデザインやメディアアートを組み合わせることで、
言葉のエネルギーに具体的な身体を与えて、
直接触れたり、視覚に訴えたり、
今までにない詩の楽しみ方感じ方について
積極的に取り組んでいること、
そうすることによって、
詩をガラスケースに収められた
高尚で形式ばったとりつきにくいものという印象から、
日常生活のあらゆるシーンにはじめから紛れ込んだ、
私たち自身の感情のカケラなのだと知らしめてくれる。
詩そのものの領域を超えた取り組みに感心するというか、
素直に素敵だなと思う次第なのです。
詩そのものがそもそもクリエイティブではあるけれど、
そのクリエイティブな産物を材料として、
さらにクリエイトするというか、
既存の楽曲をMIXすることによって、
新たな楽曲や可能性を生み出すDJ的な役割的な???
ということで、詩の展覧会はあまり行ったことがなく
(というより詩の展覧会ってそんなにやってない?)
どんなものか興味津々でした。
まず入ると、壁伝いに、あるいは、
様々な立方体に張り付くようにして、
詩が展開されている。
言葉に導かれるように視線が動く、
光の加減で言葉の表情が変わる。
面白かったのは、円形に詩が張り巡らせてあって、
それはセンテンスの切れ目がなく、
どこから読んでもいいし、どこまでも読んでもいい。
そうして永遠に詩がループする。
表現に表現が掛け合わされて、実に面白い。
その先、真っ白なトンネルを抜けると、
そこは深い深い言葉の森。
いくつもの感情の断片が、
ほのかな空調の風に頼りなく揺れている。
何にも飾られていない素のままの言葉の森を分け入っていくのだが、
目に飛び込んでくる言葉、その順番は、
人によって違うし、あるいは時と場合によっても違うし、
もっといえば、二度と同じようには決して飛び込んではこない。
心穏やかなら、きっと優しい言葉が目に留まるだろうし、
悩みを抱えていたなら、救いの言葉を探すだろう。
あるいは漠然とした不安に駆られていたなら、
「死」という文字を意識するかもしれない。
いずれにせよ、私があの日あの時、
くぐりぬけた言葉の森から産み落とされた一編の詩は、
もはや作者のものでもなく、
あの日あの時一回きりの、私だけの詩なのだ。
そんなアウラな体験がなんとも心地よくいとおしい。
これは本に印字された言葉をなぞるだけでは体験できない、
まさしくリアルの場でこそ得られるもの。
次のトンネルをくぐると、
言葉はあらゆるメディアを侵食し、浸食されている。
スマホや巨大ディスプレイに浮かび上がっては消える文字、
でたらめに並べられた本の背表紙の言葉を数珠繋ぎしてみる。
言葉は私たちの生活のどこにでもあり、
四六時中、誰かが誰かに(一体誰に?)メッセージを発信し続けている。
美しい言葉、力強い言葉、感情の乗らない言葉、怖い言葉。
私が2つの目を通して見えている視界に入っている風景から、
音のレイヤー、色のレイヤー、様々なレイヤーを外していって、
文字のレイヤーを再上段に設定したら、きっとこんな風だろうか?
あるいは我々が攻殻のごとく、電脳化して、
自分の目から見える世界に、スカウターのようにして、
様々な文字がホログラムのように風景の中に立ち上がってきたなら、
こんなだろうか?
そんな妄想を、実現する以前に再現する、
それもアナログ的な手法で、というような感じ?感じ。
最果さんの詩は、本と相対峙して読む作品然としているというより、
右耳から入れて、左耳から流したり、
何度もよく噛んでは反芻して入れたり出したり入れたり出したり、
そういう言葉の摩擦行為が発火点となってスパークする
感情の花火を打ち上げるような感じで、
それをこうやって体感できてとてもよかった。
雪解け伊吹山
こちらも2月某日。
久々にお山ということで、おなじみの伊吹山へ。
毎年はお正月辺りに行くのだけど、
今年は出控えをしていたこともあり、1か月ちょい遅くなりました。
その間にすっかり暖かい日も続いたり、雨が降ったりで、
残雪はいかばかりかというところ。
で、いつものように近江長岡からバスでと思っていたら
なんと冬期運休。
毎年そうだったっけ?コロナで利用客減のため?
いずれにせよ登山口までのアプローチを再考せねばならなくなった。
幸い、長浜ルートのバスは通常運行していたのでそちら利用で。
ただこちら少し時間が余計にかかる。
まだ明ける前に自宅を出て大阪駅へ。
5:19発の京都行でガタゴト、京都で乗り換え鈍行で長浜には7:33。
バスまでの間に、補給品やらドリンクやらをキオスクで購入し、
7:45発の伊吹登山口行の湖国バスに乗り込む。
同じ登山客が2,3人ほどいたが、
大多数はやはりマイカーなのだろう。
バスはバスで少し回り道をするので45分ほど。
徐々に山に近づいていくのだが、
ふもとはすっきり晴れているのに、
8合目から上部は分厚い雲にぽっかりと包まれている…。
んん~あれじゃあ、眺望は望めそうにないなあ。
8:31定刻通りに伊吹登山口へ。
冬季は3合目の東屋や山頂のトイレも全部閉鎖されているので、
しっかりと用を足しておかないといけない。
それからゲイターを装着したり、荷物を整理して、
9:00少し前に山歩きスタート。
1合目まではうっそうとする森の中の道を。
マイカー組の人を追い抜きながら、
最初からペース上げていきます。
いつも大体ぬかるんでたりするのだけど、この日は大丈夫でした。
そして1合目。
1合目からは旧スキー場のゲレンデを上がっていきます。
いつもここが一番斜面が急に感じてしんどい。
渋滞につかまらないように、団体をパスするたびに、
ペースの上げ下げですでに汗だく。
2合目で振り返ると、湖東の広がりが見える。
ふもとはいい天気。
2合目から右手に少し回り込むような方で進み、
3合目の手前の視界が開ける辺りから、足元に雪がちらちら。
ぽかぽか陽気で、この辺りはシャバシャバ、ドロドロ@@
トイレは締まっているし、
まだ序盤なので休憩なしで先へ進みます。
3合目から4合目までの広々とした斜面は
しっかりと雪がついていて、踏みしめていきます。
ここは斜度もほとんどないので、
まだアイゼンなしでOK。
4合目からまた少し右手に回り込んで木々の間を行きます。
雪と岩のミックスでべちゃべちゃ。
そうしてちょうど1時間で5合目。
補給もしつつ少しだけ休憩。
上部を見ると、先行する人の粒が見えていて、
7合目より上は雪の残っている部分を選んで
ほぼ直登しているよう。
ただ、あの傾斜で、この薄い残雪で
自分にはなかなか難しいコンディションぽい。
ひとまず行ってみて。
5合目からは6合目まではまだ雪交じりの土ロードだったが、
6合目の避難小屋から先は、
そろそろ雪道になるので、
軽アイゼン装着。
いやあ、もうそんなに雪残ってないだろうと思っていたので
油断してました。
7合目の手前から、夏道をそれて、雪の斜面を直登します。
なかなかの斜面なので、
油断して前刃なしの軽アイゼンを持ってきたことを早くも後悔。
どんどん斜度はきつくなるし、足元がおぼつかない。
とりあえず8合目付近まで来て、
どんどん急になっていく斜度にどうしたものやらと一旦停止。
登りはいいがこのまま登ってしまって、果たして下れるのかしらん?
無理はしたくないので、ここで引き返そうと思ったが、
見渡すと、みなが歩いているルートの右手に、
すっかり夏道が出ているではありませんか。
最短だが、リスクがあり、余計に時間も体力もかかるくらいなら
雪の直登を無理に登らなくても、
夏道でサクサク登ればいいじゃんかと、
そちらへトラバース。
前の人にならってか、雪歩きがいいのか、
みな一様にトレースを追って、
急で脆い雪のトレースを登って渋滞が起こっているのをしり目に、
誰も通っていない慣れた夏道をサクサク登ります。
9合目より少し上、あとほんの少しで山上の入り口のところで、
一番急な雪の斜面を10mほどトラバースして、
さっきの道へ合流しないといけないところがあって、
そこはかなりヒヤヒヤしながら通過し、
どうにかこうにか山上にたどり着きました。
山上は思ったより、雪が積もっていましたが、
ここは平坦なのでザクザクいわしながら歩く。
ふもとで観察した通り、分厚い雲が一体を包んでいて、
眺望はなし。
そして思ったより風が強く吹いていて寒い@@@
山頂到着は11:30。
登り2時間30分は例年通り。
おひさしぶりの日本武尊さんと
山頂シェ~でツーショットを取り、
一帯をぐるっと回ります。
白山方面の眺望をしばらく待ってみたけど、
一向に雲が晴れる気配がないので、
15分ほどで退散します。
さっきの雪道と夏道の合流点の所、
慎重に1歩ずつ進んで、どうにかクリアし、
そこから再び夏道を8合目まで。
8合目からは雪道に戻って、
斜度に任せて滑り降りる。
5合目で小休止し、アイゼンを外す。
4合目の下で雪ともさようなら。
3合目から下は元々雪がないので、
ドロドロにならずに済んだ。
ふもとに降りてきたのが13:30。
慎重に下ったこともあり、いつもより少し時間がかかり、
4時間30分の山行でした。
このところの運動不足の身には十分タフな山行でございました。
トイレをすまし、用水路でポールなどを洗って、
帰路の準備をしますが、帰りのバスの時間がまだ1時間以上あります。
することもないし、1時間あれば十分近江長岡までたどり着けるので、
歩くことにしました。
伊吹庁舎、高番とすぎて、そこからは小さな川沿いの道へ。
振り返ると伊吹山が堂々と。
山頂もようやく顔を出しています。
ジャスト1時間くらいで、近江長岡駅に到着すると、
タイミングよく電車も到着、それで米原まで行き、
そこから新快速で帰宅。
大友良英 guitar and turntable Solo at 京都メトロ
2月に戻って。
京都メトロでの大友さんのソロ。
コロナの影響で、もっとも翼をもがれた音楽業界。
ボロボロになった羽でも、低空飛行ででも、
飛び続けなくてはならない。
リスクを最小限まで抑える努力を懸命にしつつも、
音楽も自由もあきらめない。
音楽家としての覚悟というか生き様というか、
そういう気迫に迫るものを
このところの大友さんからは感じます。
表面的にはいつも穏やかでいらっしゃいますが、
内なる炎というか、そういうものです。
今回は、ギターソロと、ターンテーブルとの2本立て。
ギターソロは相変わらず、ギンギンに爆音が鳴り響いて、
腹の底から湧き上がるエネルギーを見事に発散させてくれました。
そしてターンテーブル。
実は私、ギター演奏は何度も生で体感していますが
大友さんのターンテーブルはお初。
なかなか新鮮でしたが、
こちらものギターノイズと同じく、
繰り返されるリズムにあらゆる爆音を重ね合わせていく。
大友さんのノイズにはいつも愛を感じる。
音を出したい!リズムを刻みたい!
生きてる限り人間は音=ノイズを発するんだ、
だからノイズこそ生きてるってことなんだ、
そして生きてるってスッバらしい!
そういうシンプルな衝動が、
ギターやアンプを通じて、世の中にあふれて飛び出した、
そんな音がするのです。
そういう音は実に心地が良く、
実にすがすがしいものです。
今回は珍しく、歌ものが2曲ありました。
先日からの流れで『その街のこども』、
そして加川良さんのカバーで『教訓』。
どちらも今このコロナ禍、そして混乱する社会情勢の中で
響くメッセージをもった大切な曲ですが、
大友さんのたどたどしい歌声に込められた思いの強さが
ひしひしと感じられて、思わずグッときました。
終演後、少しだけお話し。
まだ書けていませんが(この記事は時間がまだまだかかる)、
このつい直前の1.17にお会いしたところだったので、
軽くお話だけして、あとは娘からのバレンタインチョコをお渡し。
また春先のONJQのツアーでお会いしましょう。